「意識高い系」なぜ廃れたのか…ブームけん引役が明かす「今ではよくわかる」理由とは?写真はイメージです Photo:PIXTA

幻冬舎でホリエモン、ひろゆき、ガーシーの著作を次々と大ヒットさせてきた編集者、箕輪厚介はかつて「人生も競技として楽しめ」と語り、「意識高い系」ムーブメントを生み出した。そんな意識高い系ブームも落ち着いた今、「意識高い系」が冷笑され、嫌われる理由を「意識高い系」のど真ん中にいた箕輪氏が考察する。※本稿は、箕輪厚介『かすり傷も痛かった』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。

現地に行かなきゃわからない
混沌から感じる“リアル“

 これを書いている僕はいま、フィリピンにいる。フィリピンの雑踏に出ると現地の人が客引きをしたり果物を売ったり女を売ったりしている。僕はこういうアジアの混沌とした感じが好きで、彼らの中に紛れて埃だらけになって歩いていた。

 先進国にいることやお金があることが幸せだということではないというのは百も承知だが、選択肢が多く自由であることは間違いない。フィリピンの商売人は明日から違う仕事をしようと思ってもなかなか難しい。というより、そういう発想すら出ないだろう。外国があるということを知らなかった頃の日本人が外国に行きたいと思わなかったように。

 そこには情報不足がある。世界はこれだけ広く多様で、世の中には多くの仕事がある。しかし、それを手触り感を持って感じていなければ動くことはできない。

 やはり知っているということは、それだけで偉大なのだ。

あえて「意識高い系」でいる勇気
知識はピンチをチャンスに変える

 NewsPicksを読んで仮想通貨の動きを知り、ベーシックインカムが導入されたら世の中がどう変化するかという記事を読む。世界がこれからどこに進むかということに興味を持つということは、世界を自由に生きるために必要なことだ。

 NewsPicksを読んだり講演会などに通っている人を「意識高い系」と揶揄する人がいる。しかし僕は「意識くらい高く持て」と言いたい。世の中の最前線で起きている動きに、五感を研ぎ澄ます。意識のアンテナを4本バキバキに立てっぱなしにしているだけで、リスクを未然に回避できる。ピンチをチャンスに変えられる。

 僕自身、社会人になった当初は単なる「意識高い系」だった。僕が今仕事をしている見城徹、秋元康、堀江貴文といった人たちの出演番組や書籍、記事は一つ残らずチェックしていた。

 先輩編集者である佐渡島庸平や佐々木紀彦は、今では偉そうに絡んでいるが、彼らの講演会があると必ず顔を出し、前のほうで聞いていた。すぐに具体的な何かに生かせたわけではない。はたから見れば意識が高いだけで、結局うだつの上がらない、一番痛い若者だったかもしれない。