37万部のベストセラーとなった『「学力」の経済学』(中室牧子著)から早9年。教育分野にはすっかり「科学的根拠(エビデンス)」という言葉が根付いた。とはいえ、ジャーナリストや教育関係者が「科学的根拠」として紹介しているものには、信頼性の低い研究も多い。
そこで、中室牧子氏がみずから、世界で最も権威のある学術論文誌の中から信頼性の高い研究を厳選、これ以上ないくらいわかりやすく解説した待望の新刊が発売された。
「勉強できない子をできる子に変える3つの秘策とは?」「学力の高い友人と同じグループになると学力が下がる」といった学力に関する研究だけでなく、「小学校の学内順位は将来の年収に影響する」「スポーツをすると将来の年収が上がる」といった、「学校を卒業した後の人生の本番で役に立つ教育」に関する研究が満載。育児に悩む親や教員はもちろん、「人を育てる」役割を担う人にとって必ず役に立つ知見が凝縮された本に仕上がった。
待望の新刊『科学的根拠(エビデンス)で子育て』の中から、一部を特別に公開する。
勉強できない子ができる子に変わる3つの秘策
子育て中のご両親から受ける相談の中で、ダントツに多いのが、「わが子が勉強ができない」という悩みです。勉強がすべてではありませんが、教育を通じて、さまざまな知識や技術を身に付けておくことは、子どもたちの将来の助けになります。
新刊『科学的根拠(エビデンス)で子育て』では、勉強ができない子をできる子に変えるための「3つの秘策」を伝授します。
ただし、これらの秘策は、いまこの瞬間、子どもたちが勉強ができるようになることだけを目的にはしていません。
新しい技術が次々とあらわれる変化が激しい社会ですから、私たちは大人になっても常に新しいことを勉強したり、学び直しをしなければなりません。学校を出たあとにも役に立つように、勉強することが苦にならないような方法を知り、技術を身に付けてもらうことを目的にしています。
その3つの秘策は(1)「目標」を立てる、(2)「習慣化」する、(3)「チーム」で取り組む、です。
秘策1「目標」を立てる
子どもを勉強させることは、簡単ではありません。子どもたちは「勉強は大事だ」と頭ではわかっているのですが、つい「今日はやめておこう」「明日でいいや」と先延ばしにしてしまいます。
なぜこんなことが起きるのかというと、きちんと勉強することによって遠い将来に得をすることよりも、今勉強せずに楽をすることを過剰に高く評価してしまうからです。これを行動経済学では、「現在バイアス」と呼んでいます。
しかし、現在バイアスによって、勉強を先延ばしにしてしまうことで、成績、受験、進学など、ありとあらゆる教育上の成果に悪影響があることがわかっています。
このことを踏まえ、「勉強ができない子をできる子に変える」ために、私がおすすめする1つ目の秘策は、子どもに「目標」を立てるよう仕向けることです。
これは、お金がかからず、シンプルで、誰にでもできる方法です。「一年の計は元旦にあり」などと言って、節目に目標を立てることをすすめることわざもありますが、経済学的にはどのような意味があるのでしょうか。
目標を立てることは「自分の将来の行動にあらかじめ制約をかける」という「コミットメント」であり、現在バイアスによる先延ばしを防ぐ上で有効だと考えられます。
私はダイエットをするときに、必ず「今日からダイエットします!」と周囲に宣言してから始めることにしています。これが「コミットメント」です。自分の目標を宣言することで、後戻りできないようにしつつ、密かに周囲のサポートも期待してのことです。
目標を立てることで、大学生の成績が大幅に改善した
目標を立てて取り組むことで、成績が改善したことを示すエビデンスがあります。具体的にどうすればよいかは、カナダの名門大学の1つであるマギル大学で行われた実験が参考になります(*1)。
マギル大学での実験は、成績のふるわない85人の大学生を、2時間半程度のオンライン演習を受けるグループ(処置群)と受けないグループ(対照群)とにランダムに分け、4か月後の成績を比較したというものです。
オンライン演習では、自分が描く理想の将来を明確にし、その将来を実現するために達成しなければならない複数の目標をリストアップするように求められました。
次に、それらの目標のうち、重要なものから上になるよう順位をつけ、それぞれの目標を達成するために生じ得る課題、その課題を解決するための具体的な戦略について作文しました。
最後に、それぞれの目標を達成するためのコミットメントの度合いについて宣言するよう求められました。
つまり、学生たちは、2時間半のオンライン演習の中で、嫌と言うほど自分の目標と向き合うことになりました。それだけでなく、目標の優先順位、目標を達成する上での課題を把握しようとしたことになります。
この実験の結果は図1に示されているとおりです。演習を受ける前の1学期には処置群と対照群の学生のGPAはほとんど同じです。しかし、演習を受けたあとの2学期には、処置群の学生は対照群の学生と比較して、GPAが(4点満点中)0.66も高くなっていました。それだけでなく、自分自身に対して持っていたマイナスのイメージも少なくなったことがわかったのです。
マギル大学での実験は85人の大学生を対象にした小規模なものでしたが、このあと、カナダの別の大学やオランダの大学で約1500人の大学生を対象にした大規模な追試が行われました。
そして、やはり目標を立てることが成績や単位取得にプラスの効果があることが確認されました(*2)。加えて、現在バイアスによって日頃から何事も先延ばしにする傾向のある学生ほど、目標を立てることの効果が大きいこともわかったのです。
目標の力で成績を上げるための3つの条件
どのように目標を設定すべきかについても研究が進んでいます。アメリカの大学で4000人を対象に行われた実験では、2つのタイプの目標設定が試されました(*3)。
2つのタイプの目標設定のうち、1つ目は、教育生産関数の「インプット」に対する目標設定です。たとえば、「試験前に2時間勉強する」といった目標です。2つ目は、教育生産関数の「アウトプット」に対する目標設定です。たとえば、「試験で80点取る」といった目標です。どちらのほうが成績を上げる効果があったのでしょうか。
実は、インプットに目標を設定した学生の成績は上がり、アウトプットに目標を設定した学生の成績は上がりませんでした。なぜでしょうか。
学生にとって自分の力でコントロールしやすいインプットに目標を定めるほうがうまくいくということのようです(注1)。
また、オランダの大学で行われた実験も参考になります。この大学では、新入生が1学年上の先輩と定期的に面談を重ねながら、勉強をサポートしてもらう仕組みがありました。
この仕組みを利用して、学生たちは、新入生がみずから目標を設定するグループと、先輩が新入生に対してより高い目標を設定するように促すグループのいずれかにランダムに割り当てられました(*4)。
実験の結果、新入生がみずから目標を設定したグループは成績が上がりましたが、先輩から促されてより高い目標を設定したグループの成績は上がりませんでした。なぜでしょうか。
目標というのは「ある程度達成可能な」ものを自分で設定しなければならないということのようです。自分の目標を他人まかせにして、とても達成できないような高い目標を掲げると、かえってコミットメントの効果を低下させてしまうことになるのです。
イタリアの大学でも新入生を対象にした研究が行われています。ここでは、タイムマネジメントや教材の整理の仕方、勉強へのモチベーション維持など、自己管理の方法を一通り学んだあとで目標を設定すると、より効果的であることがわかりました(*5)。
同じく、アメリカの8つの大学で行われた実験でも、自己管理の方法を学んだ上で目標を設定すると、6か月後の新入生の留年率が約5ポイントも下がり、その効果は2年後にも持続していたことが報告されています(*6)。
一連の研究を大雑把にまとめてみると、(1)ある程度達成可能なインプットに対して、(2)他人ではなく自分が、(3)自己管理の方法について学んだ上で目標を設定するとより効果的だということです。
心理学の研究によれば、人々が目標を達成すると、「自分には目標を達成できる力がある」という自信を深め、それが次の目標へのコミットメントを強くするという好循環が生まれることが指摘されています(*7)。
テレビ朝日の『気づきの扉』という番組で紹介されていた京都大原記念病院で起こったことは、まさにこの好循環が生じたことを示す良い事例です(2020年4月10日放送)。
病院の職員が近所の人からもらった野菜の苗を敷地内の畑で育てているうちに、高齢の患者たちが農作業を手伝うようになったそうです。野菜を収穫するという明確な目標ができ、実際に収穫して達成感を得たことで、患者の意志が強くなり、それまで低迷していたリハビリの継続率が上がったというのです。
つまり、好循環の最初の「きっかけ」になる目標設定を手助けしてあげることが重要です。野菜の苗を育てるように、最初は気負わずにやりとげられそうなことから始めるのがコツなのかもしれません。
注1 就学期の子どもを対象にした実験でも、アウトプットよりもインプットに対する金銭的インセンティブが効果的であったことは知っておくべきことです(*8)。しかし、アウトプットに目標を定めたケースがすべてうまくいかなかったわけではありません。目標設定の効果については、経済学よりも早い段階で心理学の研究対象になってきました。初期の心理学の研究のほとんどが、アウトプットに対する目標を定めると、成績が改善する傾向があることを示しています。しかし、これらの研究における目標設定と成績の関係は、因果関係とは言い難く、相関関係を示唆するものにとどまっています(*9)。しかし、経済学者がオランダの大学生を対象にして行った実験でも、アウトプットに目標を定めたとしても成績を改善する因果効果があることが示されています(*10)。このため、現時点では、インプットに目標を定めることについては成績を改善することを示す研究が多いが、アウトプットに目標を定めることの成否については議論が分かれていると言えるでしょう。
*1 Morisano, D., Hirsh, J. B., Peterson, J. B., Pihl, R. O., & Shore, B. M. (2010). Setting, elaborating, and reflecting on personal goals improves academic performance. Journal of Applied Psychology, 95(2), 255-264.
*2 Dobronyi, C. R., Oreopoulos, P., & Petronijevic, U. (2019). Goal setting, academic reminders, and college success: A large-scale field experiment. Journal of Research on Educational Effectiveness, 12(1), 38-66; Schippers, M. C., Scheepers, A. W. A., & Peterson, J. B. (2015). A scalable goal-setting intervention closes both the gender and ethnic minority achievement gap. Palgrave Communications, 1, 15014.
*3 Clark, D., Gill, D., Prowse, V., & Rush, M. (2020). Using goals to motivate college students: Theory and evidence from field experiments. Review of Economics and Statistics, 102(4), 648-663.
*4 Van Lent, M., & Souverijn, M. (2020). Goal setting and raising the bar: A field experiment. Journal of Behavioral and Experimental Economics, 87, 101570.
*5 De Paola, M., & Scoppa, V. (2015). Procrastination, academic success and the effectiveness of a remedial program. Journal of Economic Behavior & Organization, 115, 217-236.
*6 Bettinger, E. P., & Baker, R. B. (2014). The effects of student coaching: An evaluation of a randomized experiment in student advising. Educational Evaluation and Policy Analysis, 36(1), 3-19.
*7 Bandura, A., & Schunk, D. H. (1981). Cultivating competence, self-efficacy, and intrinsic interest through proximal self-motivation. Journal of Personality and Social Psychology, 41(3), 586-598; Pintrich, P. R. (2000). The role of goal orientation in self-regulated learning. In M. Boekaerts, P. R. Pintrich, & M. Zeidner (Eds.), Handbook of Self-regulation (pp. 452-502). San Diego, CA: Academic Press.
*8 Allan, B. M., & Fryer Jr, R. G. (2011). The power and pitfalls of education incentives. Brookings Institution, Hamilton Project; Fryer Jr, R. G. (2011). Financial incentives and student achievement: Evidence from randomized trials. Quarterly Journal of Economics, 126(4), 1755-1798.
*9 Zimmerman, B. J., & Bandura, A. (1994). Impact of self-regulatory influences on writing course attainment. American Educational Research Journal, 31(4), 845-862; Schutz, P. A., & Lanehart, S. L. (1994). Long-term educational goals, subgoals, learning strategies use and the academic performance of college students. Learning and Individual Differences, 6(4), 399-412; Harackiewicz, J. M., Barron, K. E., Carter, S. M., Lehto, A. T., & Elliot, A. J. (1997). Predictors and consequences of achievement goals in the college classroom: Maintaining interest and making the grade. Journal of Personality and Social Psychology, 73(6), 1284-1295; Elliot, A. J., & McGregor, H. A. (2001). A 2×2 achievement goal framework. Journal of Personality and Social Psychology, 80(3), 501-519; Barron, K. E., & Harackiewicz, J. M. (2003). Revisiting the benefits of performance-approach goals in the college classroom: Exploring the role of goals in advanced college courses. International Journal of Educational Research, 39(4-5), 357-374; Darnon, C., Butera, F., Mugny, G., Quiamzade, A., & Hulleman, C. S. (2009). “Too complex for me!” Why do performance-approach and performance-avoidance goals predict exam performance?. European Journal of Psychology of Education, 24, 423-434.
*10 Van Lent, M., & Souverijn, M. (2020). Goal setting and raising the bar: A field experiment. Journal of Behavioral and Experimental Economics, 87, 101570.
(この記事は、『科学的根拠(エビデンス)で子育て』の内容を抜粋・編集したものです)