ネムツォフの殺害は誰にとっても大きなショックで、多くの人が震え上がった。勇気の塊のようなユリアでさえ、子供たちと夜、3人だけで家にいると心がザワザワしたと、ずいぶんあとで話していた。「ついに始まったっていうこと?反体制派を殺そうっていうわけ?銃を持って突然乱入してくるかも」と不安でいっぱいだったという。ネムツォフとはファーストネームで呼び合う仲だったので、私も震え上がった。だが、自分の命がそこまで危険にさらされるようになったとは思っていなかった。
危険なことは承知の上
それでも祖国に自由を取り戻す
私は、襲撃とか逮捕とか殺害の可能性をとことん無視するように努めてきた。これから起こるかもしれないことをどうこうする力など自分にはないし、そんなことをくよくよ考えていると、自分自身が壊れかねない。「今朝生き残れる確率はどのくらいなのか?よくわからないが6割くらい?それとも8割?ひょっとしたら10割なのか?」そんなことを考えても無意味だ。
目を閉じて、危険など存在しないかのように振る舞えと言っているのではない。ある日、もう気にしないことにしようと決めたのである。すべてを秤にかけて、自分の立ち位置を理解して、なるようにしかならないと考えることにしたのだ。自分は反体制派の政治家であり、敵が誰なのかよく承知している。
にもかかわらず、敵に殺されるのではないかと始終不安に感じているのだとしたら、ロシアで生活する価値はない。どこかに移住するか、生き方を変えるか、どちらかを選ばなければならない。
でも私は自分の生き方が好きで、この生き方を続けたいと考えている。私は頭がおかしくもないし、無責任でもなければ、恐れを知らないわけでもない。心の奥深くのところで、これは自分がやらなければならないことだ、これが生涯の仕事だとわかっているだけだ。
世の中には、私のことを正しいと信じてくれる人たちがいる。私の組織、反汚職基金もあるし、何よりここには私の故郷がある。私は何とかして祖国に自由を取り戻したいのだ。もちろん、そんなことをすれば危険も及ぶ。だが、それも私の仕事のうちであり、受けて立つだけだ。
危険に晒される家族
ついに妻も毒殺未遂に遭う
とはいえ、妻と子供たちのことは大いに気がかりだ。もし神経剤のノビチョクが家のドアのハンドルに塗られて、そのハンドルを息子か娘が握ったとしたら。その考えが頭から離れず、恐ろしくてたまらない。
私が毒を盛られる(編集部注/2020年8月20日に飛行機内で毒殺未遂事件に遭った)わずか2〜3週間前、バルト海に面したカリーニングラードで恐ろしい事件が起こった。ユリアと私がカフェにいたとき、突然、ユリアの調子が悪くなった。ユリアは文字通り、私の目の前で椅子に座ったまま死にかけていた。しかし私は状況を見極めることができず、うかつにも「部屋で休もう」と言った。