2024年2月16日に獄死したロシア反体制活動家のアレクセイ・ナワリヌイ氏。刑務所はその死因を病死と発表したものの殺害を疑う声も多く、欧米側はプーチンに責任があると非難した。実際、2020年にナワリヌイ氏は飛行機内で毒殺未遂事件に遭っている。常に死と背中合わせでありながら強い信念で活動を続けたその足跡を辿る。※本稿は、アレクセイ・ナワリヌイ著、斎藤栄一郎訳、星薫子訳『PATRIOT プーチンを追い詰めた男 最後の手記』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。
違法建築と指摘されて
暴力で解決する建設会社
あの時以降で、命が危ないと感じたことは一瞬たりともない。それどころか毒を盛られるまで、年ごとに自分は絶対安全だと強く感じるようになっていた。自分が何者なのかが世の中に広く知られるほど、殺害は難しくなるだろう。いや、難しくなるに違いない―そう思っていたのだ。
これまでの仕事で最も危険を感じたのは、まだヤブロコ党(編集部注/ロシア統一民主党:民主主義や人権を重視する自由主義政党)の党員だった2014年の一件だ。当時、モスクワ市民保護委員会を設立しており、市内の違法建築撲滅活動に取り組んでいた。地元のモスクワ市民は違法建築にとても不安を感じていて、私は弁護士の立場から市民を助けようとしていた。
違法建築を指摘されたモスクワの建設会社は、人を雇って、野球バットを手に相手の家に殴り込む。そんなやり方が問題解決の常套手段になっていた。このようなわけで、地元の汚職との闘いは何よりも危険なことのように思えた。こうした闘いを地方、特にコーカサス地方で続ける活動家の皆さんを私は心から尊敬している。
だが今、私は公人であり、誰もが知る存在になったので、相手もリスクを冒してまで殺そうとは思わないだろう。
でもその考えは間違いだった。
気に入らなければ誰でも殺す
常軌を逸した男・プーチン
私はこれからもボリス・ネムツォフと交わした言葉を決して忘れないだろう。あれは彼が殺害される10日前のことだ。あの時はネムツォフと彼の同僚と私の3人で話をしていて、ネムツォフはいかに私が危険な状態にあるのか説明していた。「クレムリンなら簡単に殺せますよ。あなたは外部の人間ですからね。私は身内だから心配ないですが」。ネムツォフは元副首相(編集部注/エリツィン政権下で第一副首相を務めた)だ。その上、プーチンとは個人的な知り合いで、何年も一緒に働いている。
その3日後、私は逮捕された。逮捕からわずか1週間後、クレムリンからわずか200メートルしか離れていない場所でネムツォフは射殺されたのだ。つくづくわかった。誰が危険で、誰が安全かという話はまったくもって無意味だと。次に何が起こるのかは、誰にもわからない。わかっているのは、ウラジーミル・プーチンという名の常軌を逸した男がいるということだ。そして、ときどき何かが脳内で悪さをすると、紙に人の名前を書きだして、命令する―「こいつを始末しろ」。