今ならわかる。ユリアは間違いなくノビチョクを盛られたのだ。ユリアが経験した感覚は、その後、私が例のフライト中に経験したものとまったく同じだった。ただ、軽度だっただけだ。後でわかったことだが、トムスクで私に毒を盛った人物と同じFSB(編集部注/ロシア連邦保安局、KGBの後継組織)の関係者がこのときも尾行しており、カリーニングラードまで追ってきていた。
ふと、こんなことが頭をよぎる。例えば、調子が戻って外出できるようになったユリアが外に出てからわずか2分、公園のベンチで遺体となって発見される……。背筋が凍った。たとえ妄想でも耐えられない。でもこれは、勇気があるかないかの問題でもないのだ。
私は決断した。もちろん家族に与えるリスクは最小限に抑えるが、私がコントロールできないことも間違いなくある。妻だけでなく子供たちも、私が逮捕される可能性があると知っている。家族で何度も繰り返し話し合ったからだ。では、殺されるかもしれないという想定はあるかって?さすがにそこまで想定していなかったが、その場合でも何かが変わるわけではない。
刑務所には入りたくない
それでも闘う覚悟はできている
私はロシア国民だ。一定の権利を有する。恐怖に怯えて暮らすつもりはない。闘わなければならないのであれば、私は闘う。なぜなら正しいのは自分であり、間違っているのは彼らだと知っているからだ。私は善の味方であり、彼らは悪の味方だからだ。私を支えてくれる多くの人がいるからだ。
こうした考え方はとても基本的なものであり、ひたすら大衆の人気を集めようとするポピュリズム的な考え方かもしれないが、私はそれが正しいと信じているし、だからこそ何も恐れていない。自分が正しいことは自分がよく知っている。
刑務所に入れられて嬉しいわけがない。楽しいことがひとつもない。おぞましく、無駄な時間だ。けれど、そういうものだというなら、それは仕方ない。私は発言するし、権力の座に就いたら、クレムリンに巣くう連中に正義の鉄槌を下すとはっきり伝える。というのも、彼らが国家そのものを略奪しているからだ。当然、本人たちはそういう私の考え方が気に食わない。私の行動を何とかして止めようとしているのもそのせいだ。私は彼らを相手に闘い、彼らは私を敵だと認識している。
自分はいずれプーチンに
殺されるのかもしれない
私は自分の人生がこの先どのようになるのかを知らない。だから、人生の意味を理解しようとしても、それは単なる憶測にすぎない。ただ世間には、私の未来に関して、2つの相反する意見がある。半分の人はこう考える。クレムリンはすでに一度、私を殺そうとしたのだから、最後までやり遂げるだろう。というのも、プーチンが、ナワリヌイ殺害命令を出したのに守られていないために、激高しているというのだ。