スズキの社長や会長を務めた鈴木修氏が2024年12月25日、死去した。スズキを売上高5兆円規模の大企業に成長させた“中興の祖”だ。そんな鈴木修氏の功績を振り返るとともに、カリスマ亡き後のスズキの課題について明らかにする。(ダイヤモンド編集部,宮井貴之)
トップダウンを貫いたカリスマ
5兆円企業に成長させた中興の祖
スズキは27日、鈴木修元社長が死去したと発表した。94歳だった。鈴木氏は1978年に社長に就いてから2021年に会長を退任するまでトップダウンの姿勢を貫き、スズキを売上高5兆円規模の大企業に成長させた“中興の祖”だ。
1930年に岐阜県下呂市に生まれ、58年に鈴木自動車工業(現スズキ)に入社。2代目社長だった鈴木俊三氏の娘婿となった後、常務、専務を経て78年に社長に就任した。
修氏はコスト意識が高いことで知られていた。社長就任後に初めて陣頭指揮を執った「アルト」の開発において、後部座席にベニヤ板を採用した逸話があるなど、1円、1グラム単位で無駄を削り、利便性と価格競争力を両立させたクルマを手掛けてきた。
いち早くインド市場への参入を決めるだけでなく、「スズキは静岡県浜松市の中小企業に過ぎない」という危機感から、米ゼネラルモーターズ(GM)や独フォルクスワーゲン(VW)といった海外の主要自動車メーカーとの提携も模索した。
82年にダイヤモンド社が実施したインタビューでは、タバコの煙をくゆらせながら、「提携するというのは調和でなく、競争だ。助け合うことと、競争して戦うこと、これが両立すると思う」とGMと提携する意義を語っていた。(詳細は『52歳の鈴木修が語った「世界に通用する小型車、養子の悲哀」』を参照)
晩年は、現在社長を務める鈴木俊宏氏を後継者に任命するなど、次世代への「バトン渡し」に奔走した。その中で、トヨタ自動車との提携が今のスズキを支える礎となった。次ページではトヨタとの提携の狙いと、残された経営陣の課題を明らかにする。