スズキの野望#5Photo:EPA=JIJI

スズキの鈴木俊宏氏が社長に就任してから10年目を迎え、経済産業省出身者らが支えた鈴木修会長の時代から役員体制も激変した。「チーム俊宏」のキーマンは誰なのか。特集『スズキの野望』の#5では、権力構造を解明し、トヨタ自動車出身の参謀の実力に迫る。(ダイヤモンド編集部 宮井貴之)

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トヨタ出身の副社長をトップに推す声
豊田家のスズキ支配が強まる恐れ

「スズキの『小・少・軽・短・美』の理念に基づき、使うエネルギーを極小化して、出す二酸化炭素を極限まで小さくする。これが私たちの技術哲学だ」──。鈴木俊宏社長は7月の技術説明会で力強く訴えた。

 軽量化を進めれば、使用する材料や燃料が少なくて済むことから、部門を超えてクルマの軽量化に取り組む姿勢を強調。次世代電気自動車(EV)開発競争が加速する中でも無理に機能を追求せず、スズキらしさを貫くと宣言した。

 俊宏社長は、自社の独自路線に自信を深めているようだ。就任から10年目を迎えた俊宏体制だが、鈴木修氏がトップを務めた時代から比べると役員の陣容は大きく様変わりしている。

 修氏が会長を務めていた際は、経済産業省出身の原山保人氏と長尾正彦氏らが会長を支えていた。経産省出身の幹部が多かったのは後継者として招聘した小野浩孝氏の07年の急死が大きく影響している。

 経産省出身で娘婿だった小野氏が病気で亡くなった後、小野氏と同じ1979年入省で同期の原山氏を三顧の礼で迎え入れた。原山氏以降、経産省出身者らの重用が続き、12年には長尾氏が入社した。

 高い事務能力に加え、霞が関と太いパイプを持つ原山氏らは、稼ぎ頭である軽自動車の規格を守り続けていくためにもスズキに欠かせない人材だった。

 21年に修氏が相談役に退くと、役員構成は刷新された。修氏と同時に原山氏が退任したほか、生え抜きで技術担当だった本田治氏らが退いた。

 俊宏社長を支える幹部の一人が、鮎川堅一副社長だ。かつてマルチ・スズキ・インディアの社長を務めるなど、ドル箱であるインド事業のプロフェッショナルだ。

 技術統括は、技術説明会にも登壇した加藤勝弘専務が担う。86年に入社し、四輪技術と品質管理の専門家としてスズキの技術を支える。「修氏にも意見を言える人物だ。四輪の専門家ということもあり重用されている」(元スズキ幹部)という。

技術説明会で記念撮影に応じる鈴木俊宏社長と加藤勝弘専務技術説明会で記念撮影に応じる鈴木俊宏社長(左)と加藤勝弘専務(右) Photo:SANKEI

 では、「チーム俊宏」でキーマンとなる人物は誰なのか。次ページでは、トヨタ自動車出身の参謀の実力に迫る。