【追悼】“中小企業のおやじ”52歳の鈴木修が語った「世界に通用する小型車、養子の悲哀」決算発表記者会見で発言する鈴木修会長(2017年5月12日) Photo:EPA=JIJI

自動車大手スズキは12月27日、鈴木修相談役が12月25日に亡くなったと発表した。享年94。同社の社長や会長を約40年間にわたって勤めた「中興の祖」である鈴木氏の功績を、『週刊ダイヤモンド』1982年7月31日号のインタビュー記事を通じて振り返る。(記事初出:2020年4月29日)

 スズキは1981年8月、当時の世界トップメーカーだった米ゼネラル・モーターズ(GM)と資本提携した。今回は、そのほぼ1年後に掲載された、3代目社長、鈴木修(1930年1月30日~)のインタビューを紹介しよう。当時、修は52歳である。
 

 インタビュー冒頭で月刊誌「新潮45+」に掲載されたというGMのロジャー・スミス会長の記事に触れている。残念ながら今回、件の記事は入手できなかったが、やりとりから察するにスミス会長は「日本の自動車メーカーを打倒する」と勇ましいことを話していたようだ。60年代以来、繊維、鉄鋼と続いてきた日米貿易摩擦の主役が、80年代に入って自動車に移っていた時期である。
 

 米自動車メーカーはいずれも日本車に対抗できる小型車の用意がなかった中で、GMはスズキと提携することで状況の打開を狙い、一方のスズキは世界に通用する「ワールド・スモール・カー」の開発を夢見ていた。
 

 GMとの資本提携の際、記者会見で「GMという巨大なクジラに対し、スズキはメダカみたいなもの」と表現した新聞記者に対し、「スズキがメダカならクジラに飲み込まれてしまうが、蚊であれば、いざとなれば高く舞い上がり、クジラに飲み込まれずに飛んでいくことができる」と修は応じた。
 

 クジラに例えられたGMとは対等かつ良好な関係を長きにわたって続けてきたが、リーマンショック後にGMの業績が悪化、それに伴い2008年11月に両社の資本提携は解消された。代わってスズキは09年に独フォルクスワーゲン(VW)と包括資本提携を結ぶ。しかし、GMとは異なり、VWはスズキを支配することが目的だった。提携から間もなく両社の間に不信感が生じ、2年目にスズキが提携解消を申し入れて係争にまで発展する。
 

 そして19年8月、スズキはトヨタ自動車と資本提携を発表した。環境・安全技術から電動化・自動運転まで、次世代車の開発に単独で取り組める自動車メーカーは数少ない中、スズキが選んだ相手は、同じ遠州(静岡県西部)を発祥とし、歴史的にも関係の深いトヨタだったわけだ。
 

 当時のインタビューでは「創業者は“雪だるまのもと”を作った」と修は語っている。「雪だるまは、じっと置いておくと解けてしまう。だけれども、コロコロと転がしていくと大きくなっていきますね。引き継いだものは、元の雪だるまより小さくするわけにいきません。なんとか大きくせにゃいかん」。

 

 この記事から28年後の2015年6月、修は長男の鈴木俊宏に社長兼COOを譲ったが、自身は会長兼CEOには留まった。会長から相談役に退いて“雪だるま”を完全に後続に託したのは、91歳になった2021年のことだった。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

己を危険な状態に置くこと
金持ちの息子にいい子は育たない

1982年7月31日号
1982年7月31日号より

──この間、「新潮45+」でGMのスミス会長のインタビュー記事を読みましたが、日本の自動車メーカーについて、大変きついことを言ってました。そして日本を打倒することを目指している、と。

 僕も読んだけど、ちっともきつくないよ。当たり前のことだ。

──ああいうことだと、鈴木自動車(スズキ)だって、弱くなったら、パッと切られちゃうでしょうね。

 僕はよく言っているんだけれども、提携というのは調和ではなく、競合なんです。仲良く競合する、友好と競合ですよ。提携したからといって、田舎の電信柱みたいに支え木が二つある電柱だったら意味がないです。助け合うことと競合して戦うこと、これが両立すると思う。