インサイダーにならないと、
国内市場に入れないのか?
かつて高度経済成長の時代に日本の鉄鋼輸出が増えたとき、次のように言われた。欧米の製鉄業は鉄鉱石や石炭の産地の近くに立地している。これは一見有利に見えるが、そうではない。なぜなら、生産した鉄鋼を需要地に運ぶためにコストがかかるからだ。
それよりも、日本のように臨海工業地帯で生産する方が効率的だ。石炭や鉄鉱石は産地から運ばねばならないが、それほどコストはかからない。つまり、生産した鉄を需要地まで安価に運ぶことができるので、全体として見れば、輸出を行うという日本の方式のコストが高いとは思えない。
この論理は今でも成り立つのではないだろうか?
そうであれば、アメリカに生産地を確保しなくても、これまでどおり日本の臨海工業地帯での生産を続け、それを輸出するということでもよいのではないだろうか?
また、アメリカ国内で生産することのコストも考えられる。特に大きいのは、労働組合だ。日本のような企業別労働組合でなく、極めて強力な労働組合を相手にしなければならないのは、日本企業にとっては大きなコストになると考えられる。
アメリカの国内市場は輸出では攻略しきれず、アメリカ国内で生産して「インサイダー」にならなければ売れないという意見もある。そうだろうか?
そういう場合がないとは言い切れないが、結局は高品質の付加価値の高い製品を低いコストで生産できる技術が重要だ。
事実、1950年代の繊維製品から始まった対米輸出は、60年代には鉄鋼とカラーテレビに拡大して本格化し、そして70年代には工作機械、80年代には自動車、半導体などに拡大した。これは、アメリカとの貿易摩擦を引き起こし、最終的に日本企業はアメリカでの現地生産にシフトすることになったが、競争力があれば、インサイダーでなければ国内市場に入れないということではないはずだ。
トランプ新政権が日本からの鉄鋼輸出に対して高率の関税をかけるという事態になれば、アメリカ国内での生産が有利という議論が成り立つだろう。
しかし、現状ではトランプ政権が、実際にどのような関税政策をとるかは、まだ分からない点が多い。
アメリカの労働組合も合理的でない
買収が頓挫すれば大量失業生む
私は、アメリカの労働組合の考え方も理解できない。
USスチールの従業員も加わるUSWは、日本製鉄による買収には、安全保障上の問題があるとして反対している。確かに、中国企業に買収されるのであれば、そうした問題があるかもしれない。
しかし日本企業が安全保障上の問題を引き起こすとは、とても考えられない。
しかも、労働組合の立場から言えば、日本企業は最適の相手といえるだろう。
一般的に言えば、アメリカ企業よりは日本企業の方が労働組合に友好的と考えてよいだろう。あまり無慈悲な解雇はしない。労働者に対して一般的には、日本企業の方がずっと温情的と言ってよいのではないだろうか?
しかも、日本製鉄の買収計画が頓挫、次の買い手が現れなければ、USスチールによる単独の再建は極めて困難といわれている。そして、ペンシルバニア州最古の製鉄所であるモンバレー製鉄所の閉鎖は不可避だといわれている。
そうなれば、大量の失業者が出るだろう。日鉄の買収計画は、USスチールの労働者にとってみれば、最後の助けともいえるはずだ。それをなぜ受け入れないのか、そのことも、この買収問題で理解できないことだ。
(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)