【前回までのあらすじ】自由党の中堅幹部となった加山鋭達は、献身的な妾や愛人秘書に支えられ、権力の階段を順調に上っていた。だが、1954年末時点の政界の序列においては、加山よりもレイ子のほうが圧倒的に上だった。(『小説・昭和の女帝』#20)
自民党の総裁は当初、緒方竹虎、岸信介の順だったが…
1955年10月のある夕刻、真木レイ子は衆院議長室で、ある密談の給仕を務めていた。
並の密談ではない。間もなく発表される日本民主党と自由党との統合、いわゆる保守合同の最終的な話し合いだった。
卓を囲んでいるのは、鳩山一郎総理、吉田茂前総理、そしてレイ子が秘書を務める粕谷英雄衆院議長の3人だ。会合が開かれたこと自体を隠すため、他の秘書や事務員などは帰らせていた。
保守合同は既定路線だ。いまさら合意がひっくり返るような重要な交渉が残っているわけではない。粕谷がこの会合をセットした狙いは、保守合同で誕生する自由民主党には参加せず、無所属になると公言している吉田の腹を探り、できれば何らかの同意を得ることで、後々の波乱の芽を摘んでおくことだった。
レイ子は、鳩山には緑茶を、吉田にはシェリー酒を、粕谷にはウイスキーを運んだ。67歳の粕谷はすっかり酒が弱くなった。以前は、政界でも有名な酒豪だった。しかし最近は、酔うと訳が分からなくなる上、糖尿病になりかけていた。レイ子は粕谷を気遣って、ウイスキーに番茶を混ぜて出した。いつもそうしているが、粕谷は一向に気づかないのだった。
ホスト役の粕谷が音頭を取り、3人が乾杯すると、鳩山がこう切り出した。
「吉田さん、あなたとはいろいろあったが、こうして一堂に会することができてよかった。保守政権の安定、ひいては日本の独立という大義のため、過去を水に流してくれたことに感謝します」
吉田は鳩山の言葉に頷くと、「君のところの三木武吉君と河野一郎君が身を粉にして働いてくれたおかげですよ。彼らの説得で、保守の結集に反対していたわが党の連中も折れた。私のところの幹部では、ああはやれなかったでしょう」と鳩山派を持ち上げた。
議長室のビロード張りの椅子に座る吉田は、しばらく見ないうちに小さくなったようで、ワンマン宰相と言われた当時の迫力はなくなっていた。77歳にもなって政権から引きずり降ろされる経験はさすがに身にこたえたのかもしれない。
吉田が葉巻に火をつけたので、レイ子は灰皿を寄せてやった。
「だが、肝心要の新党の総裁人事が棚上げになっているのは頭が痛いですな」と、粕谷はセンシティブなところへ水を向けた。
党を統合すれば当然、トップの座の奪い合いになる。保守合同でも同様で、新党の初代総裁の人選はまとまらなかった。11月の党発足時には代表を立てず、代行委員4人による合議制を取ること、総裁公選は来春まで延期にすることが決まっていた。
議長室が静まり返った。吉田が重い口を開いた。
「その点については、話は幹部から内々報告を受けています。私も、緒方竹虎君、岸信介君の順ならば望ましいと思う」
その言葉に、鳩山と粕谷が胸を撫で下ろしているのが、レイ子にも分かった。
朝日新聞の記者から政界に転じた緒方はトントン拍子に出世して、吉田から自由党総裁を引き継いだ。しかし、吉田政権の末期に鳩山や三木から追い詰められたとき、解散総選挙に打って出ようとした吉田を緒方が押しとどめ、内閣総辞職を決断させた経緯があった。そのため、吉田派の一部議員は、緒方を明智光秀と呼んでいた。つまり派内で、裏切者の家臣の汚名を着せられている緒方の総理総裁就任を認めるのか、吉田の本心を探るのがこの会合の目的の一つだった。
「緒方君は、臆せず物を言う骨太のリーダーに育った。緒方君に先を譲った岸君の器の大きさにも感服します」と吉田は補足した。
「しかし…」と吉田は、注文を付けることも忘れなかった。