資本主義は転換期にある。ドル基軸通貨体制はいつまで続くか?(第2回)Aiko Suzuki
平山賢一(ひらやま・けんいち)
東京海上アセットマネジメント 参与 チーフストラテジスト。埼玉大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。東洋大学・学習院女子大学非常勤講師、明治大学 研究・知財戦略機構客員研究員。約35年にわたりアセットマネジメント会社においてストラテジストやファンドマネジャーとして、内外株式・債券等の投資戦略を策定・運用。運用戦略部長、執行役員運用本部長(最高投資責任者)を経て現職。『金利史観』、『振り子の金融史観』、『戦前・戦時期の金融市場』(令和2年度証券経済学会賞)、『日銀ETF問題』、『オルタナティブ投資の実践』(編著)、『物価変動の未来』、『金利の歴史』、『物価の歴史』など著書多数。

トランプ新政権、日銀の利上げ、日本の巨額政府債務などで不確実性が高まる中、市場の乱高下に右往左往しないために長期視点で金利や物価を考えることを提唱する『金利の世界』と『物価の歴史』の著者で、東京海上アセットマネジメント・チーフストラテジストの平山賢一氏にインタビューした。連載3回で送る第2回は、巨額な政府債務と金利動向の関係についてです。(取材・文/ダイヤモンド社 論説委員 大坪 亮、撮影/鈴木愛子)

覇権は変遷する。
18世紀のオランダに似る日本

――本書『金利の歴史』(中央経済グループパブリッシング)を読むと、各時代において最低金利を実現しているのは、金融覇権国だったようです。この点のエッセンスを教えてください。 

 主要国の中で最も低い金利で資金調達できる国は、時代とともに移り変わって行きました。16世紀後半から17世紀初頭のイタリアを皮切りに、17世紀から18世紀にかけてのオランダ、18世紀中葉・19世紀の英国、20世紀中葉の米国、そして20世紀後半から21世紀にかけての日本やスイスというぐあいに変遷していきました。

 これらの国々は、貿易や産業などを通して富を蓄積した資本輸出国が多い。そして、国際間の決済を支配し、中心都市に取引所をつくります。ベネチア、ジェノヴァ、アントワープ(ベルギー)、アムステルダム、ロンドン、ニューヨークですね。

――日本・東京はそうなっていないですね。

 興味深いところです。日本の場合は小さな覇権であり、もしかすると米国とのセットということかもしれません。お金の出し手は米国で、ユーロダラーを世界に供給するけれど、大借金国なので、日本やスイスがファイナンスするという関係です。歴史的に見ると、覇権国が決済を握っていましたが、米国からの移管はなかった。

――スイスが低金利国なのはなぜですか。

 理由は不明ですが、お金は潤沢な国です。プライベートバンキングが有力であり、マネーが世界から集まり、タックスマネジメントにたけた運用ができるという利点が昔からあった。

 その国の通貨が使われるためには信用の裏付けがないといけない。欧州連合(E U)でユーロが誕生しても、不確実性は大きい。リスク分散や資産保全でスイスにお金が流れた面があるかもしれません。

 国の安全保障は覇権が成立する必要条件ですが、スイスには国をきちんと守る軍隊があり、他国の侵略を受けたことがないという歴史があります。対して、E Uは拡張していくごとに守るべき領域が増えていき、侵略リスクが高まるという矛盾もある。安全保障の面では、E Uは必ずしも必要条件を満たしていないと見ることができます。

 しかし近年、スイスの三大銀行の一角が危機を迎え合併に追いやられたりしたのは、何かの力が働いているのかもしれません。

――金融覇権国では低金利を長期に維持できるが、ある種のトリガーが引かれた時には金利は急上昇することがあると本書では警告されています。

 トリガーは、政府・中央銀行に対する信認の喪失など政治的な要因が挙げられます。戦争や紛争が、政府への不信を呼び、インフレ率の急騰につながることを歴史は示しています。

 19世紀までの歴史においては、戦争に明け暮れる王室・政府の信用は、商人間の信用よりも低く、調達金利は高かったのです。

――今日の日本のことを考えると、本書には18世紀のオランダが有用な含意を与えると書かれています。

 第3章で詳述しましたが、18世紀には覇権は英国に移ったのに、その後しばらくオランダは最低金利を維持できました。大国でもないオランダが金融覇権を維持した「ダッチ・ファイナンス」には4つの特徴が挙げられます。

 第1に消費よりも貯蓄を指向する国民の倹約性向、第2に通商による膨大な利益獲得と蓄積、第3に政治と経済が融合し官民一体となった政策運営、第4に資金調達のための適切かつ効果的な機構・仕組みがあったこと、です。

 中間層が厚く、国民がきちんと働いて経常黒字を蓄積し、その資産を運用するために国債を買うという仕組みが確立されていました。日本は似ていますね。

――本書に書かれたその後の顛末に驚かされます。

 低リターン・低金利に甘んじていたオランダの国民の投資行動が変化していった。新たな覇権国の英国に投資機会を見出し、その信用が高まるにつれ、オランダの資金は英国に向かいます。国内から海外に投資が移るにつれ、オランダは技術と活力を失っていきました。

 今日の日本も似たような状況にあります。前半(連載1回目)でお話した個人の貯蓄のキャピタル・フライトは、18世紀末のオランダでも起こっていたのです。

 オランダでは、貯まった資金が国債に向かい、長期間の低金利を維持してきました。日本も個人資金が郵便貯金や銀行預金を通じて間接に、あるいは直接の国債購入で、膨らみ続ける財政赤字のファイナンスに寄与し、低金利につながってきました。

 しかし、それにも限界があります。カギを握るのは、政府の信認です。