石川智久(いしかわ・ともひさ)
日本総合研究所調査部 調査部長・チーフエコノミスト・主席研究員。北九州市生まれ。東京大学経済学部卒業。三井住友銀行、内閣府政策企画調査官等を経て、現職。2019年度神戸経済同友会 提言特別委員会アドバイザー、2020年度関西経済同友会 経済政策委員会委員長代行を務めたほか、大阪府「万博のインパクトを活かした大阪の将来に向けたビジョン」有識者ワーキンググループメンバー、兵庫県資金管理委員会委員などを歴任。著書に『大阪の逆襲』(青春出版社・共著)、『大阪が日本を救う』(日経BP)、『大阪 人づくりの逆襲』(青春出版社)など。
日本銀行の総裁に黒田東彦氏が就いた2013年から始まった大規模な金融緩和政策、通称「異次元緩和」。当初は2年程度で物価上昇率2%の達成をもくろんだものの果たせず、16年にマイナス金利を導入。以来、市場金利はほぼゼロ状態が続いた。日銀総裁が植田和男氏に代わって1年後の今年3月、17年ぶりに政策金利は上げられた。今後、金利はどこまで上がり、私たちの生活はどう影響を受けるのか。金融・経済動向を平易に解説した新刊『「金利のある世界」の歩き方』の著者をインタビューした。(取材・文/ダイヤモンド社 論説委員 大坪 亮)
太平洋戦争と同じく
短期決戦で終わらなかった。
――本書『「金利のある世界」の歩き方』の執筆動機を教えてください。
日本銀行が今年2024年3月にマイナス金利を解除し、「金利のある世界」に入りました。金利引き上げは07年以来、17年ぶりです。低金利に慣れきってしまった社会、あるいは金利というものを初めて実感する若い人が多くなっている中、金利が上がることの意味を皆がきちんと知っておいたほうが良いと思って書きました。
グローバル化が進み、輸出入量が増え、日本経済は世界情勢に左右される度合いが大きくなっています。世界がインフレになれば、日本もインフレになる。実際いろいろな物の価格が上がってきています。
そうなると、インフレを抑えるため、金利の上昇が必要になります。しかし、長年続いた低金利の変更は容易でありません。その課題も本書では分析しました。
最近、同様の著作は経済学者から増えていますが、銀行出身でシンクタンク勤務の私ならではの平易な語り口で、より多くの人にこうした実態を知ってもらいたいと考えました。
――慣れは怖いですね。低金利前提が社会に浸透しています。その変更によってもたらされる家計、企業経営、国の財政における懸念を、幅広く本書はカバーされています。本書の第1章で詳述されていますが、今日の事態の発端となる異次元緩和政策を、石川さんはどのように評価されていますか。
一つの実験だったと思います。期せずして日本が金融政策の最先端に立つことになってしまった。2020年頃からのコロナ禍による急激な経済収縮で、世界中が日本に続くように異次元緩和の政策を行うことになります。非常事態における実験的な政策なのです。
日本経済はコロナ禍以前から長く不調が続いたというのも事実なため、「やってみないと効果はわからない」という実験的手法でしたが、実施は仕方がないという面はありました。ただし、本書に書きましたが、始める時には短期戦の政策であったはずが、ここまで長引かせてしまったことは問題だと思います。
――本書では「経済学者の脇田成氏は著書『日本経済の故障箇所』で日銀の異次元緩和について言及した章の冒頭に、山本五十六の『初めの半年か一年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、二年三年となれば、まったく確信は持てぬ。』を引用しているが、まさにその状態が当てはまっている」と書かれ、太平洋戦争開戦時と同じように計画通りに進まなかった時の修正ができないことを問題視されています。
2年程度で2%という短期戦の目標達成が無理とわかった時点で、きちんと政策を見直すべきでした。そのまま長く続けた結果、企業経営では不動産分野などの貸し出しが大きく拡大したり、家計では多額の住宅ローンを変動金利で借りる人が増えたり、金利が上がらない前提の社会・生活設計が広く浸透してしまいました。
財政も、低金利で痛みが感じられないから、赤字が拡大していきました。日銀の資産も、国債の買い入れで、巨額に膨らんでいます。日本経済全体で、一種のモラルハザードが起きています。
――金利が一つの規律になるのでしょうか。今後、金利はどうなりますか。
2%を超えるところまでは金利が上がっていかないと、いろいろな構造問題は解決しないと考えています。政府・日銀が目途とする物価上昇率が2%であるならば、名目金利が2%を超えてようやく実質金利がプラスになる。
しかし、日銀は金利を一気には上げられないので、半年に0.25%、1年で0.5%のペースで、4年間で2%を目指すことになるのではないでしょうか。あまり速く上げてしまうと、市場に与えるショックが大きくなるので、それくらい徐々に、でも着実に上げていくことが必要です。
――今年夏の植田総裁の発言の折に、株式市場は一時暴落しました。
金利上昇のトレンドに、社会全体が慣れていない面が出たかなと思います。長期間の異次元状態から脱するわけなので、多少の揺れはありえます。
この際、中央銀行、日本で言えば日銀ができることは、市場ときちんとコミュニケーションしていくことです。かつて米国で中央銀行の機能を担うFRB(連邦準備制度理事会)の議長を務めたアラン・グリーンスパンは、いくつもの金融危機の際に巧みな言説で市場金利を望ましい水準に誘導して「マエストロ」と呼ばれましたが、今、植田総裁には同様の市場との対話力が求められています。
7月末の発言では、金利正常化に向けて少し前のめり過ぎた感じがしました。「ストラテジック・アンビギュイティ(戦略的曖昧性)」という言葉がありますが、市場に言質を取られないように戦略的に曖昧に発言することが求められています。