古典のすごさは
コントにしても崩れない

 1人1巻ずつ担当を決め、『桐壺』からの54帖をすべてショートコントに仕立てて演じてもらう趣向です。とても1回の授業では消化できず、100分の授業を2回使いました。

 学生たちは、ちゃんとストーリーを押さえてコントを作ってくれるので、それを見るだけで『源氏物語』を理解できます。しかも、大笑いできます。

書影『「気づき」の快感』(幻冬舎)『「気づき」の快感』(幻冬舎)
齋藤 孝 著

 光源氏が若紫を見初める場面など、現代の感覚では完全にロリコン犯罪です。見ている学生たちから「気持ち悪い」という声が上がります。最後まで演じ切ったときには盛り上がりが最高潮に達し、どの学生も大満足の表情をしていました。

『源氏物語』のコントを演じてもらい、古典作品の強さを再認識しました。お笑いをやっているわけでもない学生に、ただ「ショートコントを作ってください」といっても、面白いコントを作るのは至難の業です。

 けれども、『源氏物語』のようにベースがしっかりした作品ならば、どんなコントに仕立てても面白くなります。私は『論語』もショートコントにしてもらうのですが、『論語』のような教訓に満ちた内容でも、かなり笑える内容に仕上がるのです。

 実際の孔子は結構おおらかな人だったといわれているので、本当は孔子が語る内容にはユーモアの要素が多分に含まれていたのかもしれません。いずれにしても、古典はどんなに崩しても重要なエッセンスが残ります。古典はやっぱりすごいのです。