![積まれた本](https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/1/c/650/img_1c8c807aec96bbae47838c6e07785e4d508196.jpg)
「古典よりも、今すぐ使える知識を勉強するほうがコスパがいいのでは?」という議論が、受験シーズンになると盛り上がったりする。しかし、そういったコスパやタイパを気にする人ほど、むしろ古典を勉強してみてほしい。時代を超えて読み継がれる作品には、先人の知恵と思考が詰まっている!※本稿は、齋藤 孝『「気づき」の快感』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
コスパやタイパを重視するなら
古典を勉強するに限る
「学校の授業で古文や漢文などの古典を教える必要はあるか?」
「古文なんて読めたところで生活で使う機会がない。それなら社会人になっても使える知識を学んだほうがいいのでは?」
受験シーズンになると、ネット上ではこういう議論が盛り上がるそうです。
古文は文法を覚えるのが大変で、苦手だという人の気持ちはわかります。でも、私は古典の知識が不要だとは思いません。
最近の若者はコスパ(コストパフォーマンス)やタイパ(タイムパフォーマンス)に敏感といわれています。コスパやタイパを重視するなら、むしろ古典を勉強するに限るのではないかと思っています。
そもそも、人間の思考はある程度パターン化されています。『千の顔をもつ英雄』(ジョーゼフ・キャンベル著、早川書房)、『神話の力』(ジョーゼフ・キャンベル、ビル・モイヤーズ著、早川書房)といった本を読むと、世界中に伝わる英雄譚は似たようなパターンで書かれていることがわかります。
例えば、日本の『古事記』には、次のような話があります。