でも、「一億総白痴化」という言葉がどんなに流行っても、テレビは廃れませんでした。むしろ大変な勢いで家庭に普及しました。つまり、一度新しい物事が世の中に浸透したら、もはや元に戻ることはあり得ないのです。

誰もが自由に「気づき」を
発信し合える状況を楽しむ

 私自身、子どもの頃からテレビを見ながら育ち、「テレビなんか見ていたら馬鹿になるよ」といわれても、見るのをやめようとは思いませんでした。同じように、ゲームやアニメで育った人たちが、「ゲームやアニメは人間を堕落させる」といわれても困るはずです。今さらゲームやアニメを否定するのは無理筋というものです。

 SNSについても、まったく同じことがいえます。

書影『「気づき」の快感』(幻冬舎)『「気づき」の快感』(幻冬舎)
齋藤 孝 著

 私は「一億総表現者時代」の現状をポジティブにとらえています。昔は、自分の考えを世に問いたいと思ったら、自費出版で本を刊行し、友人知人や親類に配るくらいしか方法がありませんでした。

 本を出せるのはごく一部の人であり、学者の世界では「岩波新書を執筆するのがステイタス」といったイメージがありました。私も岩波新書で『読書力』『コミュニケーション力』『教育力』といった本を執筆したとき、「いよいよ岩波新書に到達したのか」という感慨にひたったのを覚えています。

 でも、今は本を出しても初版でせいぜい数千人にしか届かないのに対して、SNSでは自分の意見を何万人、何十万人もの人に、瞬時に知ってもらうことが可能です。しかも、普通の会社員や学生の中に、優れた見識や文才がある人がいるという事実が可視化されています。

 誰もが自由に気づきを発信し合える状況は、この先もずっと続くでしょう。それなら、この状況を楽しんだほうがいいに決まっています。