だから患者さんも心を開いてくれますし、それがいい治療につながっているのだと思います(ただし、1つの病院ではいまだにマスクを強要されているので仕方なく付けています)。

 こういうことができるのは、コミュニケーションが苦手だという自覚があった私が、医学部を卒業したあとに素晴らしい師に出会い、医者として患者さんとどうコミュニケーションを取ればいいのかをしっかりと学んだからこそですが、医学部の6年間ではそういった学びの機会は一切ありませんでした。おそらく今もそうなのでしょう。

 だから、多くの患者さんが「医者に気持ちがわかってもらえない」とか「医者が怖くて本当の気持ちが言えない」という不安や不満を抱えているのです。

「医者としての適性」や「医者になりたいという高い志」の有無を確認する必要があるのだとしたら、そのタイミングとしてふさわしいのは、医師国家試験を受験するときだと思います。

 つまり、医学部の教育によって、医者になるための知識や技術、そして医者にふさわしい人間性を身につけ、いよいよ医者になろうとするところで、「医者としての適性」や「医者になりたいという高い志」の有無を確認する。このほうが明らかに理にかなっています。

面接官は教授ではなく
患者や看護師が務めるべき

 医学部以外の学生だって、その仕事に向いているかどうかを面接によって判断されるのは就職試験のときですから、それでは遅いということはないはずです。

 それを踏まえて考えても、医学部の学生だけが入学前に「医者としての適性試験」代わりの入試面接を受けさせられるというのは、やはりおかしな話なのです。

 ただしタイミングを変えたとしても、面接官を教授が務めたりすれば、結局自分の役に立ちそうな人間だけを合格させるといったことが起こりかねません。

 だから私が面接官に推薦したいのは、患者さんの代表だとか、看護師とか、大学病院のスタッフの皆さんです。そういう人たちに面接官を務めてもらって、その人の人間性が医者にふさわしいかどうかを判断してもらうのです。

 ここでの面接で卒業生が何人もはじかれるようなことになると評判はガタ落ちですから、大学の医学部のほうも医師としての人間性を育むような教育に力を入れるようになるはずです。論文の数だけで教授を決めていてはなかなか難しいので、こういう人が教授になるほうが学生たちにいい影響を与えるだろうという視点が生まれるでしょう。