
医学部の入試において、ほとんどの大学で面接試験が課されている。面接を実施するのは「医者としての適性がない」「医者になりたいという高い志がない」というような学生を落とすためだとされているが、精神科医の和田秀樹氏によれば、それは明らかに間違っているという。和田氏が、医者にふさわしい人間性を育てる環境が欠落した今の医学部の実態に警鐘を鳴らす。本稿は、和田秀樹『ヤバい医者のつくられ方』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。
今の医学部は医者の人間性を
育てる場になっていない
「医者としての適性がない」とか「医者になりたいという高い志がない」などを、医学部の入学を認めない理由にするのは明らかに間違っています。
「頭がいいからといって人とうまく話せないような人が医者になると困るじゃないか」というのが面接をしている教授たちの言い分なのだとすれば、「入試の時点で問題がある人は、人とうまく話せない医者になるのだ」と最初から決めつけているということです。
これは料理が下手くそな人が、素材が悪いせいだと文句を言っているのと同じで、要するに彼らには自分たちの教育のやり方に問題があるという発想が一切ないのです。
今の医学部は、医者になるための知識とか技術を教える場にはなっていますが、医者にふさわしい人間性を育てる場にはなっていません。
82もある大学の医学部に「心の治療の専門家」の主任教授が1人もおらず、患者の気持ちにどう寄り添うかなどを学ぶ機会はなく、患者さんとの上手なコミュニケーションのやり方を学ぶようなプログラムを用意している大学はごく一部しかないのです。
面接でコミュニケーション能力に問題のない学生を選んでいるのだから大丈夫だとか、そのための面接だなどと反論してくるかもしれませんが、それは教育機関としてあるまじき姿勢であり、教育の放棄だと言ってもいいと思います。
世の中では「コミュ力高め」と言われるような人が、必ずしも患者さんたちとうまくコミュニケーションできるとは限りません。
コミュ力高めの人の中には、他人の心の弱さに鈍感な人もいますし、いずれにしても、病気で少なからず不安を抱えている患者さんとのコミュニケーションというのは、一般的なコミュニケーションとは全く違います。それを教えずして、いい医者にしようなんてどだい無理な話です。
コミュニケーションが苦手でも
今は立派に医者をやれている
私は昔から他人とのコミュニケーションには苦労してきた人間で、今でも私のことを「変人だ」と言う人がいます。
けれども、自分で言うのもなんですが、患者さんからの評判はすこぶるよく、どの病院にもたくさんの患者さんが来てくださいます。
コロナ禍が落ち着いてからは、自分はもちろん、患者さんにもマスクを外してもらうようにしてお互いに顔を見ながら話をすることを心がけています。そうすることで患者さんの表情から心の状態を読み取ることができますし、私の笑顔を見ると患者さんも安心してくれます。