私たちの集団の中に、一般的に「障害者」と呼ばれる人たちが、一定の割合で出現することには、きっと意味があるはずなのである。

 その優れた人々に「居場所がない」とすれば、それは人類が作り上げてきた「社会」の方に問題があるのだ。

 世の中には一般に「障害者」と呼ばれる人たちがいる。

 それ以外の人は「健常者」と呼ばれる。しかし、何が「健常」なのだろう。

 誰もが得意なことと不得意なことがある。できることとできないことがある。

 私など、毎年健康診断でいくつもの項目に引っかかって、健康指導を受けている。そんな私は健常なのだろうか。

 誰もが体の中には、正常に機能している部分と、多かれ少なかれ異常が見られる部分がある。すべてが健康という人はむしろ少ないだろう。

 そもそも、健康診断では「ふつう」とか「標準」と言われるが、何をもって「ふつう」と言うのだろう。

 ふつうの人って誰だろう。誰もが個性を持ち、誰もが人と違う。「ふつうの人」と言うのは、人々が築き上げた幻想に過ぎない。

 誰もが「ふつう」といえば、「ふつう」だし、「ふつうではない」といえば、誰も「ふつうではない」のだ。

 私がさかあがりができず、足が遅いのも、欠陥といえば、欠陥だ。

突然変異が
生物に進化をもたらした

 それでも、一定の割合で遺伝的な疾患は現れる。

 生物は、常に突然変異を起こそうとしている。もちろん、遺伝子を正しくコピーしなければならない遺伝子にとって、突然変異は事故だから、できる限り、コピーミスを防ごうとしている。それでも、コピーミスが起きて、突然変異が起きる。

 しかし、である。

 コピーミスの結果、何が起こっているだろう。

 このコピーのミスが、単細胞生物から複雑な多細胞生物を生み出し、魚だった私たちの祖先を地上に進出させ、哺乳類を生み出し、人類を生み出した。遺伝子の突然変異こそが、原動力なのだ。

 もっとも、突然変異は目的を持って現れることはない。ランダムに現れる。

 長い地球の歴史を考えれば、何が正しくて、何が良いかは、わからない。そのため、突然変異は、できるだけ広範囲に、できるだけ変化に富んだ変異を起こそうとするのだ。

 短期的に良いと思われる方向にやみくもに進化をすることは、地球環境の長い歴史の中では、何の意味もないし、むしろマイナスに働くのだ。

 たとえば、ゴキブリの中には殺虫剤が効かない抵抗性ゴキブリと呼ばれるものがいる。

 これは、殺虫剤が発明されたから、殺虫剤が効かない突然変異を起こしているわけではない。