不正を追求する「暴言」
どこまで許されるのか?
巨悪を叩くジャーナリストが庶民から叩かれるという、なんとも皮肉な現象が起きている。
きっかけはもちろん、フジテレビ10時間会見だ。怒声、罵声、ヤジが飛び交うなかでルールをガン無視して、延々と自説を述べるジャーナリストや、ACジャパンの「決めつけ刑事」のようにネットやSNSの未確認情報を根拠に詰問する記者などの「醜態」を目の当たりにした庶民から「正義のヒーロー気取りで弱い者イジメをして不快だった」「メディアや記者が、ネットの誹謗中傷を助長していることがよくわかった」などの声が今も後を絶たない。
とはいえ、いくら長丁場だったとはいえこの会見だけで、ここまで嫌悪感を抱かれたわけではない。近年、ネットやSNSでは「自称ジャーナリスト」という言葉が使われるように、そもそもジャーナリストにマイナスのイメージを抱く人が増えている。積もり積もった不信感が、フジの会見で一気に爆発した形だ。
では、なぜ庶民はジャーナリストを信じられなくなったのか。まず大きな要因としてあげられるのはシンプルに「偉そうに人を叩いてるけど、お前らもロクなもんじゃないだろ」と庶民が感じてしまうような不祥事が続発したことだ。
有名なところでは、ジャーナリスト・伊藤詩織氏が、元TBS記者のジャーナリスト・山口敬之氏から性被害を受けたと告発し、訴訟にまで発展した問題だ。その前にも、有名ジャーナリスト・鳥越俊太郎氏が、女子大生に性加害をしたと「文春砲」に被弾。写真誌「DAYS JAPAN」の元発行人で、チェルノブイリ事故の取材でも知られるジャーナリスト・広河隆一氏が13年間で17人の女性スタッフに性暴力やセクハラをおこなっていた。他にもジャーナリストや評論家を名乗る人々の不倫騒動がちょくちょく起きている。
こういう醜聞が2〜3年おきに注目される世界の人々に対して、ある種の胡散臭さを感じる庶民が増えるのはしょうがないのだ。
そこに加えて、庶民の不信感をさらに募らせているのが、ジャーナリストの「暴言」問題である。