
ニューヨークに住む作家、小手鞠るいの元に届いたのは、父が描いた「マンガ自分史」。13歳の時に岡山で米軍の空襲に見舞われた父は、その凄絶な現場と当時の思いを独特なタッチで綴っていた。一方、現在の岡山は平和そのものだが、アメリカ人の夫は「魂がない」と言う。父の戦争体験を読んで気づいたその理由とは――。※本稿は、小手鞠るい『つい昨日のできごと:父の昭和スケッチブック』(平凡社)の一部を抜粋・編集したものです。
父から届いた小包
中身は「マンガ自分史」
父は若かりし頃から、絵や漫画を描くのが得意で、好きだった。
家の中でも、外でも、しょっちゅうスケッチブックを広げて、さらさらと何かを描いていた。会社から持ち帰ってきた描きかけのポスターか何かを、夜遅くまで時間をかけて懸命に仕上げている姿を何度も目にしたことがある。
「ほんまは、漫画家になりたかったんよ」
こう言ったのは父ではなくて、母だった。母はそう言ったあと「そんなもん、なれるわけがねぇ」と、意地悪っぽく付け加えることも忘れなかったけれど。
ある年、父から小包が届いた。
あけてみると、ぶあついコピーの束が出てきた。父の描いたスケッチブックをコピーしたもので、タイトルは「マンガ自分史」と、付けられている。
全部で4冊。
伊予の宇和島よいところ(1931~1943)
岡工時代(1943~1949)
東京てんやわんや(1950~1952)
楽しきかな子育て三昧(1953~1963)
父が生まれてから、少年時代、青年時代を経て、母と結婚して私と弟が生まれるまでのできごとを、漫画日記のようなスタイルでまとめてある。
「昭和絵日記」と、私は名づけた。もうちょっとかっこ良くするなら「昭和クロニクル」だろうか。
他人には優しく、身内には厳しく、父は、大きな変動のあった昭和時代を執念深く、生きてきたに違いない。戦中は死と隣り合わせになりながら、戦後は蠍のように脱皮を繰り返しながら、心に戦争という闇を抱えて。
父は今、92歳。2024年の11月には93歳になる。私の郷里の岡山で、ひとつ年下の母の介護をしながら、元気で暮らしている。
父というひとりの男。平凡といえば平凡。特別な偉業を成し遂げたわけでもない、言ってしまえば、どこにでもいるような市井の人間が90年あまり、生きてきた道筋をたどりながら、私はこれから、昭和時代のあれこれ、昭和に起こったさまざまなできごとを、私なりに振り返ってみようと思う。