なぜ、抵抗するのでしょう。もちろん、新しいモノゴトに心理的な抵抗を覚える人もいます。新しいものよりも、慣れ親しんだものを好む気持ちは分かります。しかし、単に新しいものには心理的な抵抗感があるというだけで、人々は死刑になるかもしれないのに打ち壊し運動に参加したり、逮捕されるかもしれないのに座り込みをしたりはしません。
抵抗するのは、イノベーションが破壊するものが自分のスキルだからです。自分が構築してきた人的資本を破壊するからだとも言えます。自分のスキルが破壊されれば、所得が下がったり、失業したりします。自分の生活の基盤が崩れてしまいます。ラッダイト運動もスウィング暴動も、郵便物自動処理装置の導入に対する反対も、そのために起こったのです。
銀行のATMの導入は
窓口業務を減らしたが…
抵抗は、ラッダイト運動のような暴力的なものから、ロビー活動、あるいは静かなサボタージュまでいろいろなパターンをとります。しかし、自分のスキルが破壊されたとしても、抵抗が起こらないこともあります。戦後の日本では抵抗はそれほど大きくならなかったのです。どのような場合に抵抗が起こらないのでしょう。
日本では戦後、多くのイノベーションが生み出されてきました。その中には、労働節約的なものも含まれていました。
例えば、ATMは銀行の窓口業務を大きく変えました。日本で初めてのATMは1977年に導入されました。ATMにより、出金だけでなく、預金、送金業務が自動化されました。窓口での業務の必要性が大幅に減りました。窓口業務を行っていた人のスキルが、機械に代替されたのです。住友銀行では業務の自動化を始めた1967年からの17年間で、預金残高の増加に伴い事務量は4倍に増えていたものの、人員は4分の3にまでに減っていました。しかしながら、大きな抵抗は起こりませんでした。
なぜでしょう。もちろん、自分のスキルが破壊された人が、損をしなかったからです。違う言い方をすれば、イノベーションにより代替される代償を、スキルが破壊された人が支払わなくて良かったからです。
イノベーションが起きても
職を失わなかったわけ
日本企業はイノベーションによりスキルが破壊された人を、配置転換により他の部署で活用したのです。銀行の場合には、窓口業務を行っていた人員の縮小は、配置転換と新規採用の抑制によって行われていました。つまり、実際にそこで働いていた人の所得が減ったり、職がなくなったりしたわけではないのです。