職を失ったのは、銀行の窓口で働きたいと思っていた人(主に高卒の女性の就職先でした)ですが、そもそも彼女たちはまだ働いてもいません。就職先の候補リストから銀行の窓口がなくなるだけです。抵抗しようもありません。

 なぜ、日本企業は社内の配置転換で、スキルを破壊された人の雇用を維持したのでしょう。まず、歴史的な文脈として、戦争の混乱が終わり、1955年から日本は高度経済成長に入っていたことが大きく影響していました。経済全体が大きく成長していましたから、多くの企業が成長できました。社内に十分に仕事があったので、配置転換も可能だったのです。

 さらに高度経済成長期の日本は、輸出に適した為替環境がありました。安価で品質の良い製品を生み出せれば、それを世界に販売しやすかったのです。この点では、産業革命期のイギリスと似たような状況だったと言えます。社内のある特定のスキルが破壊されたとしても、生産性の向上が見込める新しい創造的破壊を導入すれば、企業は成長しやすかったのです。

終身雇用と年功序列
日本的経営の誕生の契機

 さらに、当時は終身雇用と年功序列といったいわゆる日本的経営が定着していくプロセスにありました。終身雇用と年功序列は、戦間期と言われる第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に誕生しました。戦間期には、工場で労働者に対する大きな需要が生まれていました。特に熟練労働者の供給が足りなかったのです。そこで経営者たちは、新卒の学生を採用し、トレーニングして熟練工を育成しようとしました。

 しかし、問題が1つありました。せっかく育成したとしても、他の工場に引き抜かれてしまうのです。引き抜かれてしまっては、せっかくコストをかけて訓練しても、その投資を回収できません。

 そこで、発明したのが、終身雇用と呼ばれる長期的な雇用慣行と年齢により賃金を上昇させる年功序列でした。この制度の下では、キャリアの途中で外部の労働市場に出ると、企業内の昇進のラダーをもう一度やり直さなければならず、一度入社すれば外に出るインセンティブは少なくなります。

 自分の所得を上げようと思ったら、自分の会社を成長させることが大切です。だからこそ、従業員たちは自分の職務を超えることがあっても、会社のためによく協力したのです。だからこそ、日本企業はセクショナリズムが少なく、全体最適を達成しやすかったのです。