機械とビジネスパーソン写真はイメージです Photo:PIXTA

さまざまな仕事がAIによって失われると指摘されているが、過去のイノベーションにおいても、スキルのある労働者たちが仕事を失ってきた。代表的なのが18世紀の産業革命である。イノベーションによる変化への抵抗や対応について、過去の事例を紹介しよう。※本稿は、清水洋『イノベーションの科学 創造する人・破壊される人』(中公新書)の一部を抜粋・編集したものです。

機織り機の発明に
労働者が起こした暴動

 ジョン・ケイが発明した飛び杼(ひ)は、イギリスの産業革命を代表するイノベーションの1つでした。これにより、布を織る生産性が大きく向上したのです。布を織るには糸を通す棒(シャトル)に緯糸をつけて、それを経糸に通していきます。幅の狭い布をつくるのであれば、緯糸を通すのはそれほどの労力ではありません。

 しかし、幅の狭い布は使い勝手が良くありません。できれば、幅の広い布をつくりたいところです。ただ、布の幅が広くなると、緯糸を通すのは一苦労でした。布の幅が広いほど、杼を手渡しするために2~3名の労働者が必要になり、それぞれが織り機の一端からもう一端へと杼を渡す作業を担当していました。そこで、ジョン・ケイは、緯糸を自動的に経糸の間に飛んで通すことができるようにしたのです。これにより、幅広い布でも1人で、しかも素早く織れるにようになったのです。

 この飛び杼は布を織る生産性を飛躍的に上げたのですが、当時の機織り職人は強く抵抗しました。飛び杼を使えば、それまで2~3名で行ってきたプロセスを1名でできてしまうのです。職人にとっては、自分たちの仕事がなくなってしまうわけです。

 飛び杼が導入されるようになった1758年から、労働者たちは繰り返して暴動を起こしました。暴動は、飛び杼に対してだけではありませんでした。産業革命を代表する発明の多くに対して暴動が起こったのです。

紡績、織物、製材、農業機械
あらゆる機械が打ち壊された

 ハーグリーブスのジェニー紡績機に対しては、1767年から打ち壊し運動が起こりました。アークライト型の工場に対しても1779年から暴動がありました。工場に機械が導入されると、熟練工の必要はなくなり、スキルの低い人でも働けるようになりました。そこで工場の経営者たちは、子どもを大量に雇うようになったのです。子どもは賃金も安く、大人に比べれば従順です。子どもは酒を飲むこともありませんし、紡績機の下にもぐりこんで掃除もできるのです。