
1軒の焼き鳥屋から始まり、丸亀製麺をヒットさせて急成長したトリドール。父親の地元・香川で見た製麺所の行列に衝撃を受けてうどん屋を始め、その後、ショッピングモールのフードコート展開をきっかけに全国制覇を果たした成長の軌跡を語る。本稿は、粟田貫也『「感動体験」で外食を変える 丸亀製麺を成功させたトリドールの挑戦』(宣伝会議)の一部を抜粋・編集したものです。
製麺所の行列に衝撃を受け
セルフうどん業態を開始
上場準備の傍ら、2000年に父親の出身地である香川県に行く機会がありました。そこで初めて製麺所でうどんを食べる体験をして、衝撃を受けました。シンプルなうどんを食べるためだけに行列に並ぶ人が、こんなにたくさんいるなんて。
そこで、製麺所の風情を再現したうどん屋を自分でもやってみたいという気持ちがわいてきたのです。しかし、上場計画はすべて焼き鳥屋の出店計画で組んでいます。いきなりトップが「うどん屋をやる」と言い出したら、会社は大混乱に陥ってしまう。でも、どうしてもやってみたい。
居ても立っても居られず、加古川の本社近くに、会社に負担をかけない程度の小さな店を大工さんと2人で造りました。それが、「丸亀製麺」の1号店です。商号には父親の出身校から「丸亀」の名をつけました。コンセプトは「製麺所の風情があるセルフうどん」。店舗で麺を打ち、目の前で茹でて提供するのです。
当時は、「釜揚げうどん」や「ぶっかけうどん」もあまり知られていませんでした。しかも自分で天ぷらや薬味を取っていく「セルフうどん」は香川県外にはあまりない業態でした。だから、オープンしたての頃はお客様も戸惑われたようです。
それでも、製麺所の風情というのがお客様に受けて、店は一定の繁盛を見せていました。
丸亀製麺はあくまで実験的な店舗であり、事業のメインは焼き鳥屋のままで上場準備を進めていましたが、2003年頃、思わぬところから暗雲が立ち込めてきました。
世界的な鳥インフルエンザの流行です。これは焼き鳥チェーンにとって大きな打撃となりました。人への感染を恐れて鶏肉が忌避されるようになり、来店客が激減してしまったのです。新規出店している場合ではなくなり、上場計画は白紙に戻りました。
本来なら、2004年に上場する予定だったのです。そこから飛躍的に成長するバラ色の人生が待っていると思っていたのに……。