島田 京都も、比叡山が今の八坂神社、当時の祇園社を支配して、京都市内の土地をみんな持っていた。しかも、社寺はたんに土地を所有しているだけではなく、そこに国家権力が介入できない不輸不入の権利を持っていた。
ということで、かつての社寺が、ヨーロッパの教会と同じように、法人に当たるような存在になっていたんだと思います。
ヨーロッパでは、教会が持っている教会領、ローマ教皇が持っている教皇領、それから修道院も土地を持っています。やはり不輸不入で、そこには、皇帝や国王などの公的な権力は介入できない。カトリック教会では公会議が何回も開かれていますが、6世紀以降には、教会領は譲渡できない、一回教会領になったものはずっと教会領であるとされました。
当時はまだ結婚する司教がいましたが、司教が教会の財産を相続して、その土地をずっと所有していくことになりました。教会領は相当な面積におよんでいて、フランク王国では3分の1ほどだったようです。
「宗教法人に課税しろ」の声も
非課税が古今東西、普遍的原則
島田 12世紀の段階だと、ドイツの南部にシトー会修道院があって、ワイン取引の関税特権、関税を免除される特権を皇帝から得ていた。
修道院は「祈れ、働け」がモットーなので、修道士は祈るだけではなく、労働してワインを作る。ワインを船にのせて町に売りに行くわけですが、帰りは船がからになるので、ニシンだとか塩だとかバターだとかを購入して、それを持ち帰って売った。なにしろ税金がかからないわけですから、それで莫大な利益を得ることができた。
それによって、13世紀から14世紀、資本主義が誕生した後の時代に修道院がお金持ちになって、金銭に飢えた商人たちのように振る舞った。日本の宗教法人もそうですが、教会や修道院には課税されない、税金を免除される。これが、古今東西、普遍的な原則になっていて、だからこそ、今では宗教法人に課税しろという声が上がったりするわけです。
ですが、歴史的に考えると、宗教法人に課税することは根本的に難しいんではないかと思います。一旦、神や仏のものになったものを取り戻すとか、税金をかけたりすることには人間の中に抵抗感がある。ただ現実には、教会あるいは教会領が保持されて経済活動が行われるためにそういう特権が与られていると思うんですが、いかがでしょうか。