中世の教会には
フードバンクの役割も

水野 難しい問題ですよね。たとえば、中世までは神様がローマ教皇やアメリカの大統領以上の存在でした。雲の上の存在から税金を取ることは畏れ多いと考えられていたのです。当時、餓死しそうな人は教会に行けば、ご飯、今で言うフードバンクのようなもので助けてもらえました。

 今ではそれが生活保護に変わっていますが、神様が追放された後の近代国家においては、困った時、例えばコロナの時に職を失った場合、NPOが助けています。リーマンショックの時も、日比谷公園でNPOが食事を提供していました。

 私は思うのですが、どうして神社やお寺がそういうことをしなかったのでしょうか。リーマンショックの時に、「日比谷公園ではなく我がお寺に来てください」となぜ言わなかったのか。もしそういうことをしていたならば、税金を取らなくてもいいと考えます。お金を蓄えておいて、いざという時に使ってくれるなら、無税でも構わないと思います。

 しかし、コロナ・パンデミックの影響で飲食店が多数閉店した際、池袋に日用品を提供する団体があり、そこに多くの人が並んでいましたが、国全体が「例外状況」に陥っているわけですから、もっと大規模な組織、本来なら政府が対応すべきですが、政府は財政赤字で身動きが取れません。そういう時こそ、神社がどうして対応しないのか疑問です。

島田 やってないわけではないと思います。上野公園でキリスト教の団体がホームレスの人たちに食料を提供するような活動をやっていました。ただ、その前にお説教を聞かせ、勧誘もしていましたが、それを聞いた人たちに対しては食事を提供していた。

水野 下心が見えちゃいますよね。みんなお腹空いて、困ってるんだから。

島田 今のイスラム社会にはまだそういう伝統が生きています。断食月が1年に一度まわって来ますが、昼間は食べてはいけないけれど、日没で断食が開けたら、盛大な食事を毎日とるのが慣習になっていて、その時には貧しい人たちもその食卓に連なることは自由なんです。