子育てが教えてくれる「人生の真理」

西照寺(熊本県) 投稿者:saishoji [2024年7月1日]西照寺(熊本県) 投稿者:saishoji [2024年7月1日]

 続いての掲示板は、「育児とは育自なり」。

 同じく浄土真宗本願寺派西照寺(熊本・菊池市)の「仏教伝道協会賞」受賞作品です。講評は以下の通りです。

 子どもを育てることは自分自身と向き合い、成長することにもつながります。子どもの姿は自分の鏡。子どものふり見て、自分の行動を見つめなおしましょう。

 最近、「子育ては罰ゲーム」という言葉をよく耳にします。子育ての経済的な負担や労力、仕事を離れることによるキャリア形成に与える悪影響などを指して、このような表現が生まれたのでしょう。
 
 お釈迦さまは自分の子どもに「ラーフラ」と名付けました。この名前には「障り」や「束縛」という意味があるようです。なぜわが子にこのように名付けたのかについてはよく分かっていません。もしかしたら、自身の出家の妨げになると思われたのかもしれません。

 もちろん、子どもはさまざまな活動の妨げになることは否めませんが、一方で、子育ては自分自身と向き合うことにもつながります。子どもの成長を通して、「子どもの頃の自分がどうであったか?」「自分がどのようにして大人になったのか?」を振りかえるきっかけを与えてくれるのです。

 幼い子どもは全くと言ってよいほど、こちら(大人)の言うことを聞いてくれません。仏教では「人生は苦である(人生は思い通りにならない)」ということを説くといつもお伝えしていますが、「思い通りにならない」という人生の真理を、わが子が身をもって教えてくれるのです。

 子どもは「束縛」と「学び」を同時に与えてくれます。「育児」を一方的に「罰ゲーム(束縛)」と捉えるのではなく、「学びを与えてくれる貴重なもの」としても捉えることができる人間になりたいものです。