「帰巣本能」というのはすごいもので、前夜の記憶は曖昧でも、ちゃんと自分の部屋で寝ていたりします。イスラームに限らず、宗教的に「飲酒」を戒めることはよくあります。それは健康のためというよりも、「前後不覚」に陥らないためなのです。(解説/僧侶 江田智昭)
「不飲酒戒」という戒律
まもなく12月。早いもので、今年も忘年会シーズンの到来です。この時期によく起こるのはお酒の失敗。飲んでハメを外してしまい、次の日の朝に落ち込む経験をした方もいらっしゃるのではないでしょうか?
お酒を楽しく飲んでいるときは、自分が酔っていることをほとんど意識しません。飲んだ翌日の朝に酔いがさめてから「酔っていた」ことを強く自覚し、反省するものです。
仏教ではお酒をどう考えるか。みなさんもご存じのとおり(ご存じないかもしれませんが)、仏教には「不飲酒戒」という戒律があります。お釈迦さまは『スッタニパータ』という経典の中で、「飲酒を行ってはならぬ」とおっしゃった上で、お酒の問題点を以下のように指摘されています。
諸々の愚者は酔いのために悪事を行い、また他の人々をして怠惰ならしめ、(悪事を)なさせる。この禍いの起こるもとを回避せよ。それは愚人の愛好するところであるが、しかしひとを狂酔せしめ迷わせるものである。(『スッタニパータ』)
要するに、「お酒というものは、愚人の愛好するところであり、人を怠惰にし、悪事をなさせ、狂酔せしめ、迷わせるもの」だそうです。このように問題だらけのものですが、お酒の誘惑から逃れられないという方も当然いるでしょう。
今はあまり使われなくなりましたが、「お酒を前後不覚になるまで飲むな」という戒めの言葉がありました。「前後不覚」とは、前後の区別も認識できない状態になってしまうこと。酔っぱらってこのような状態になると、およそ正常な認識は不可能になります。