一世を風靡(ふうび)した全日本女子プロレスは、1970年代のマッハ文朱、ビューティ・ペアから人気が上昇、ゴールデン・ペアを経て、80年代に入ってからミミ萩原やデビル雅美、ジャガー横田といった強烈な個性が飛び出し、それは「ダンプ松本」の登場で頂点に達しました。(解説/僧侶 江田智昭)
「慢」と呼ばれる煩悩
「私なんか」と言って、自分自身を卑下する人は世の中に大勢いると思います。このような言葉がなぜ「自慢」にあたるのだろうかと不思議に思われる方も多いかもしれません。
仏教には「慢」と呼ばれる煩悩を表す言葉があります。古代インドのサンスクリット語で表現すると「Māna(マーナ)」。これは他者と比較する中から生まれる煩悩のことです。他者と自分を比較するようになると、一般的に以下のような感情が発生します。
他者より優れている(優越感)
他者と等しい
他者より劣っている(劣等感)
他者と比べることで優越感に浸り、自分を褒めるような発言を、世間一般では「自慢」といいます。また、「私なんか」という劣等感による発言も、実は「慢」から生み出された立派な「自慢」の一種なのです。
劣等感から生み出されるものは、仏教的には「卑下慢(ひげまん)」とも呼びます。「周りに比べて、私なんかダメです」と発言した人がいた場合、発言した人の心には「自分をダメだと認めることができる私はすごい」という、うぬぼれの感情が、少し生まれています。この「うぬぼれ」を“卑下慢”と呼ぶのです。