兵庫県加古川の郷土料理を出すその店は、80歳近い女将がひとりで切り盛りしている。単身赴任の水上課長にとって、早く帰れる時は必ず立ち寄る行きつけの店だそうだ。

「この店いいだろ?何食べても美味いぜ」

 2人でカウンターに座り、熱燗で乾杯する。支店長の悪口を肴に箸が進む中、しばらくして水上課長が急に無口になった。その視線は、カウンターの隅に置かれたブラウン管のテレビに向けられている。

 1995年に起きた阪神淡路大震災から7年目のその日。午後9時のNHKニュースは、三宮からの中継を行っていた。公園に灯る沢山のろうそく。課長は目を細めている。

「この頃、三宮にいたんだよ。入行からずっと兵庫と大阪ばかりでね。実家はこの女将と同じ、加古川さ」

「そうだったんですね。大変だったんじゃないですか?」

「ああ、そりゃあな。従弟も死んだよ。寝てる間にガレキの下敷きになってな」

「すいません。なんか思い出させたみたいで…」

「いいんだよ。今日は『忘れないように』って、みんな祈ってるんだ。三宮と加古川はさ、電車で1時間ぐらいかな?あの日は当然、電車も動いてなくて。でも、何が何でも午前9時には開店しないといけない。誰が通勤できているかも分からない。タクシーをやっと捕まえて、行けるところまで行って、その後は歩いて、やっと辿り着いたら昼を過ぎてたよ。俺と副支店長と庶務行員さんしか来てなくて。今みたいに携帯が当たり前じゃなかったから、連絡取る方法だってないしな。当然、お客さんだって来なかったし、来たとしても何にもできないし。金庫も扉がバカになって開かなかったんだぜ」

「そんなに知りたきゃ、お前が見に来いよ」
本部からの電話に激怒したワケ

 話を続けていると、課長の声にだんだん力が入ってきた。

「全くふざけた会社だぜ!」

「何かあったんですか?」

「電柱もあちこち倒れて電話も使えなかったんだけど、なぜか携帯電話が使えてね。たまたま副支店長だけが持ってたのさ。本部からひっきりなしに指示が飛んできて、いちいちうるせえの、なんのって」

「東京にいたら状況が分からないからって、勝手なこと言いますね」