利用者の怒りの炸裂に
「何騒いでるの?」
ここでキコちゃんの怒りが一気に炸裂する。いきなり地面に横たわると、手足をばたつかせながら大声を張り上げた。
「キコだって頑張ってるんだよ!なのにU子さん、何も話聞いてくれない!キコの気持ちわかってくれない!イライラするよ!1人で買い物行くのが無理だって言うんなら、せめてその練習ぐらいさせてくれたっていいじゃないか!U子さんなんか、いなくなってほしい!」
そこに、2階の事務室からJさんが降りてきた。
「川上さん(キコちゃん)、何騒いでるの?みんな迷惑してるよ」
相変わらず、威圧的な低い声である。
「ごめんなさい」
威勢がしぼみ、彼女は年下のJさんに涙声で謝った。
「次また迷惑かけたら、どうなるかわかるよね?」
Jさんは凄んだ低い声で念を押すと、2階の事務室に戻った。キコちゃんは地面にしゃがみ込んだまま、しばらく俯いていた。社員に対する不信感と怒りの狭間で、心のどこかに「ここを放り出されたら、自分は生きていけない」という想いがあったのかもしれない。
買い物への不満の声を
「馬乗り」で脅しつける
キコちゃんの騒動があったとはいえ、この日は作業が思わぬ早さで完了した。天気が良かったので、6人の利用者を引き連れて少し長めの散歩に出た。その途中コンビニで甘菓子を買い、みんなで分け合って食べた。
和気藹々(あいあい)とした時間を堪能して、午後4時頃、T作業所に戻ってくると、玄関先でキコちゃんとAさんが激しく揉み合っていた。
Aさんがキコちゃんを上から押さえつけた。
「本間さんのようにするぞ!」
本間さんとは「ヤス君」のことで、彼は暴れるたびに男性スタッフに馬乗りにされ、力ずくで押さえられてきた。
「そっちが先に手を出したんじゃないかぁ!」
キコちゃんが泣き叫んだ。しかし、大柄なAさんに力で敵うはずもなく、彼女の反撃の機会は奪われていた。
いったい何が原因だったのか。
T作業所では帰りの送迎前に、利用者個々がその日にグループホームで食べるおやつを各ホームの籠に入れる。鳥内さんやかっちゃん、育子さんなどは、おやつの禁止、または制限措置をとられていたが、それ以外の利用者についてはそれぞれの「太り具合」に応じて、主にU子さんや女性パート職員が恣意的におやつの分量を決めていた。
キコちゃんの不穏状態がぶり返したのは、自分に割り当てられた菓子が少なかったからだという。彼女は少なくとも肥満体質ではない。