
大河ドラマ『べらぼう』では、ときの将軍に愛された権力者・田沼意次の凄みを渡辺謙がド迫力で演じているが、主人公・蔦重の立身出世は田沼の開明的な商業政策あってこそだ。だが田沼の権力は、ある日もろくも崩れ去る。その背景には、とある大物の暗躍があった。過去の「大河」はすべてチェック済という大河マニアの松村邦洋が、『べらぼう』の魅力を興奮気味に解説する。※本稿は、松村邦洋『松村邦洋 懲りずに「べらぼう」を語る』(プレジデント社)の一部を抜粋・編集したものです。
「田沼政治=悪」は作られた歴史?
消えた資料が示す“隠された意図”
最近、田沼時代から寛政の改革(編集部注/1786年の田沼失脚後、松平定信が主導した政治)が始まるあたりをじっくり調べた方がおられるんですが、当時の田沼政治に関する公の資料が丸ごと、跡形もなく消えてなくなってるんだそうです。
もちろん、ワイロに領収書を出すような人はいませんから、もともと証拠なんか残るもんじゃないんでしょうけど、あの頃の旗本や大名が書き残したそういうえぐいワイロ話を丹念に調べた結果、田沼に対する個人的な恨みを持った人や、宿敵・定信側の人が書いたものだったりと、ことごとくでっち上げだった……と結論を出した歴史家もいるくらいなんです。
しかし、公の資料がなんで消えちゃったんでしょう?――もちろんそれがあると都合の悪い人がいたと考えるのが普通ですよね。
じゃあ、それは誰なのか?