御三卿の「一橋家」が仕掛けた
徳川将軍家の乗っ取り劇

図表:徳川家/御三家/御三卿略系図同書より転載
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 略系図をご覧いただくと、家康以来の徳川将軍家の血筋以外で初の将軍となった8代・吉宗(御三家の紀州家出身)の名前が見えます。

 そこから9代家重、10代家治と将軍家の流れが続くんですが、次の家基に「×」印が。そして11代目が左寄りの家斉に飛んでいってますよね。「御三卿」の「一橋家」とあって、12代目以降はその一橋家が代々の将軍の座をゲットしています。

 つまり将軍の座は、この時から徳川将軍家から一橋家に“奪われた”恰好になっちゃったんですよ。みんなが知ってる15代将軍・一橋慶喜は、御三家の水戸徳川家から一橋家に養子に入っています。

 で、図の中に「御三卿」って書いてありますよね?これが何かを説明するには、ちょっと字数が要ります。初代・家康が徳川の血筋が絶えぬように、あるいは本家の後継ぎの出来があんまりよくなかった場合の“スペア”を持ってくる家として設けたのが、御三家です。

 それを名君・吉宗が真似して、自分の次男・宗武と四男・宗尹をそれぞれ田安、一橋、9代将軍となった嫡男・家重の次男・重好を清水と名乗らせ、それぞれの家の初代当主にした。これが御三卿なんです。要は“ネオ御三家”ですね。舟木一夫・西郷輝彦・橋幸夫に対する、西城秀樹・野口五郎・郷ひろみみたいなものです。あ、たのきん(田原俊彦、野村義男、近藤真彦)はもっと後ですね。

 吉宗は、世継ぎを残すシステムとして「これ、いいね」と思ったんでしょうけど、それ以上に、吉宗自身が御三家とシビアな権力闘争をしたことで、「あいつらには将軍位はもう継がせねえ」と考えたからだと言われています。

 ところがその後、その御三卿の1つ、一橋家が徳川将軍家に取って代わってしまったわけですよ。じゃあ、そうなるような工作をやったのは、一橋家にゆかりのある人でキマリですよね?

 今、このへんの歴史研究が進んでいて、将軍の座を乗っ取った黒幕は、11代家斉の実の父親、一橋治済(はるさだ)だと言われているんです。