写楽はあれを描く前に、その役者さんに「こんな具合に描きますからよろしく」って、挨拶したんでしょうか?ボクらなんか普段、本物の方にちゃんと挨拶くらいしとかないと、訴えられてもおかしくないですからね。

 ボク的には休刊した『週刊朝日』の最後のページ、山藤章二先生のあの面白いやつ、「ブラック・アングル」とちょっと重なります。

 山藤先生は、えらい人や権力を持ってる人をデフォルメで茶化して一般の人を喜ばせるから、カッコイイと思いますよ。前のほうの似顔絵の投稿ページに、ボクの似顔絵がよく出ていて嬉しかったですね。

写楽とは何者だったのか?
浮世絵界のミステリー

 いきなりブッたまげるような役者絵でデビューして、あっという間に消えた写楽。いったい何者だ?誰なんだ?という謎解きは、今にいたるまでずーっと、ああでもない、こうでもないと論争され続けてきました。

 彗星のように現れて消えた天才って、一番ドラマチックじゃないですか。知りたいですよね、誰なのか。

 浮世絵師はおおかた誰かの弟子になって、修業を積んで、版元にちょっとしたところの絵を描かせてもらってキャリアを積んでから、満を持してデビューっていうのが王道ですよ。

 歌麿だってそう。蔦重はまず狂歌本の挿絵を描かせてるわけですからね。世界の北斎なんか、挿絵を長いこと描いたりしてむしろ遅咲きの人でしたから。

 それが、写楽はデビュー戦でいきなり歌舞伎役者の役者絵。晴れ舞台ですよ。しかもどこどこで修業したっていう形跡が見つからなかったんです。だから、誰か有名な浮世絵師が別名で描いたんじゃないか?ってことで、歌麿や北斎、鳥居清政なんかの名前が挙がったことがあります。中には蔦重本人じゃないか?っていう説までありますからね。

 今、一番有力なのが斎藤十郎兵衛という能役者。江戸・八丁堀に住んでいた阿波徳島藩の蜂須賀家お抱えの能の役者です。

 映画『写楽』での真田広之さんは、名前は同じでも歌舞伎役者でしたけどね。さっきお話しした『浮世絵類考』の増補版に「江戸八丁堀に住んでた」って書いてあるんですよ。最近、別の資料からも十郎兵衛が実在したことがわかったので、100%確定ではないけど、十郎兵衛でほぼ決まり!になってるみたいです。