イギリス軍に勝つために
フランクリンはご婦人方を狙った
アメリカ独立戦争下の苦難の時期(編集部注/1775~1783年)のこと。フランスの積極的な支援が得られない限り、独立軍の敗北は濃厚だった。
しかしフランスはまだ七年戦争(編集部注/1756~1763年にわたる戦争。イギリス・プロイセン陣営と、フランス・オーストリア陣営の争いを軸として、欧州各国および北米植民地が参戦。フランスは実質的に1人負けとなった)での敗北のダメージを引きずっており、イギリスと新たな戦争を始めることを渋っていた。大陸会議(イギリス本国への対抗を目的とした、北米植民地の各州代表による会議)はなんとか支援を取りつけるべく、フィラデルフィアの博学者ベンジャミン・フランクリンをフランスに派遣した(編集部注/1776~1785年に駐仏)。
フランクリンはフランスに到着すると、サロンで美しいご婦人方と世間話に興じ、パーティーでご婦人方とその同行者を楽しませることに精を出した。ジョン・アダムズ大統領が「真の外交」とみなすようなことをほとんどやっていないように見えた。
だがもちろんフランクリンは自分の務めをわきまえていた。フランスの支援を取りつけるには、あらゆる階層の人たちと温かい関係を築くことが欠かせない、と彼は考えた。そして彼は、独立という大義を実現するためにどの要人を味方につけるべきか、その人脈をどう利用すべきかを学んでいった。
フランクリンのやり方は功を奏した。フランクリンが築いた人脈の中には、フランスがアメリカ側で参戦すべきかどうかに関して、直接的な発言権を持つ重要人物が大勢いた。ご存じの通りフランスは参戦し(編集部注/1778年)、それがアメリカの勝利につながった(注2)。影響力が強力な人間関係の上になり立っていることを、フランクリンは心得ていたのだ。
また、ある時フランクリンは大陸会議からの指示で、イギリスとの和平交渉からフランスを外すことになり、要人の1人であるフランス外務卿ヴェルジェンヌの怒りを買った。フランクリンはすばらしい謝罪の手紙をしたため、しかもその手紙の中で、厚かましくも資金援助まで要請した!そしてヴェルジェンヌは2人の強力な絆の証として、資金を提供したのだった。
影響力に長けた人は、信頼関係を築き、周りによい影響を与え、多くの人を説得して巻き込みながら、キーパーソンの賛同を得ていく(注3)。誰かの考えを変えたいのなら、まずはあなたの言い分を受け入れてもらうために、強力な絆を築くことが欠かせない。そしてリーダーシップとは「人を動かして目的を達成する技術」なのだから、影響力に長けたリーダーや幹部は、当然高い成果を挙げることができる。
注3 Key Step Media, Building Blocks of Emotional Intelligence, Influence: A Primer (Flor-ence, MA: More Than Sound, 2017), 24.