――ギムレットには早過ぎる。

 孤高の探偵フィリップ・マーロウが、親友テリー・レノックスとバーで呑み交わすあのハードボイルド小説の場面は、まさに男の美学であった。

 煙草も酒も心と身体に悪い。だから、やめる。そんな動機で健康志向に走った自分のくせして、実は紫煙がむんむんと立ちこめる脂臭いカウンターに向かってウイスキーをバーテンダーに注文するダンディズムに今もなお憧れがある。

 ガード下の〈木菟〉で夜ごとに集う常連客たちが、朝まで酔っ払って喧々囂々とくだを巻く姿がたまらなく懐かしいのである。

 煙草と同様に、酒もまた滅び行くものなのかもしれない。

 そんなことを考えると、やはりふと心に寂しさを感じる。

 酒の害毒を訴え、断酒こそゆいいつの救いだと信じつつも、酔っ払いたちを擁護し、いつまでもそのままでいてくれと願いたくなる、もうひとりの自分がいる。

 酒を断ってもなお、酒の文化を変わらず愛している。

 私はこの矛盾をずっと抱えて生きていくだろう。

 ハードボイルドとはとっくに廃れてしまった男の格好つけのスタイルだが、その実、みっともない、やせ我慢の裏返しでもある。昔からハードボイルドにはストイシズム(禁欲主義)という言葉がついてまわる。だとすればやせ我慢の最たるものである断酒こそは、究極のハードボイルドといえないだろうか。

 私の小説作品に登場する人物は呑んだくれや酒豪が多いと書いた。

 それを書いてきた作家が断酒をしたというので、「まさか小説の登場人物もみんな断酒ですか?」と、心配して訊いてきた読者がいた。

 私は苦笑して否定し、こういった。

――大丈夫。作者が呑まなくなったぶん、彼らには大いに呑んでもらいます。