「あなたは臆病だね」と言われたら、誰だって不愉快でしょう。しかし、会社経営やマネジメントにおいては、実はそうした「臆病さ」こそが武器になる――。世界最大級のタイヤメーカーである(株)ブリヂストンのCEOとして14万人を率いた荒川詔四氏は、最新刊『臆病な経営者こそ「最強」である。』(ダイヤモンド社)でそう主張します。実際、荒川氏は、2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災などの未曽有の危機を乗り越え、会社を成長させ続けてきましたが、それは、ご自身が“食うか食われるか”の熾烈な市場競争の中で、「おびえた動物」のように「臆病な目線」を持って感覚を常に研ぎ澄ませ続けてきたからです。「臆病」だからこそ、さまざまなリスクを鋭く察知し、的確な対策を講じることができたのです。本連載では、同書を抜粋しながら、荒川氏の実体験に基づく「目からウロコ」の経営哲学をご紹介してまいります。

「自由な発想」vs「常識の共有」…組織を成長させるのはどっち?写真はイメージです Photo: Adobe Stock

効率的な社会に「常識」は不可欠である

 私は、近年、「常識にとらわれるな」という意見を耳にすることが増えていることに、若干の危機感を覚えています。

 もちろん、「常識」という言葉を「ある社会で共有されている固定概念」と定義づけるならば、私も「常識にとらわれるな」という言葉には同意できます。世の中は常に変化していますから、「固定概念」に囚われていては、その変化に適切に対処できなくなるのは当たり前のことだからです。

 ただし、「固定概念」化してしまうと問題が多いのですが、一方で、「常識」というものを共有していなければ、私たち人間は、他者と共存しながら社会生活を営むことができないとも思うのです。

「常識」という言葉にはさまざまな定義がありますが、私がしっくりくるのは、ある辞書に書いてある「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力」という定義です。

 人類は、人間同士が協力し合うことで繁栄してきましたが、そのためには、協力関係を安定的に維持発展させるための「知恵」が不可欠です。だから、私たちの先人は、長い歴史のなかで、その「知恵」を営々と蓄積してきたのではないでしょうか。

 ただし、その「知恵」をどちらか一方だけがもっていても、協力関係は築けません。協力関係を維持発展させるためには、その「知恵」を「一般の社会人が共通にもつ」ことが不可欠なのです。

 簡単に言ってしまえば、日本の交通においては左側通行や譲り合いなどの「常識」を共有しているからこそ、効率的な交通秩序が維持されるように、あらゆる社会領域において、基本的な「常識」が共有されていることは、効率的で快適な社会運営をするうえできわめて重要なことなのです。

社内で高い次元の「常識」を共有する

 これは、ひとつの企業内においても同じことがいえます。

 高い次元の「常識」を社内で共有することが、企業の盛衰を大きく左右するということになるはずです。

 会社というものは、集められた従業員同士が力を合わせて、取引先の協力も得ながら、お客様に喜んでいただくことで成立するものです。ビジネスで成功するためには、さまざまな知識やスキルが必要ですが、何よりも重要なのはさまざまなステークホルダーと適切な「協力関係」を築くことにほかなりません。

 そして、そのような能力に長けた従業員を育てるためには、経営側が高い次元の「常識」を社内で共有されるように努めなければならないと思うのです。

 これは、ブリヂストンのようなグローバル企業では喫緊の課題でもありました。

 なぜなら、世界中に現地法人があり、異なる民族、宗教、言語、価値観をもつ約14万人の従業員が「協力関係」を結ぶ必要があるからです。

 このようなきわめて多様性に富んだ環境においては、ルールでがちがちに縛ろうとすると反発が生じてうまくいきませんし、たとえそれができたとしても、従業員の画一性を強制するために、多様性そのものを殺してしまう結果を招くでしょう。

 ここで重要になるのが「常識」です。

 ユニバーサルに通用する「常識」を共有することができれば、その「常識」の基盤のうえで、さまざまな特性をもつ従業員が協力関係を結びながら、自由闊達に仕事をすることができるはず。多様性を尊重するためには、誰もが共有できる「常識」を育てることが重要なのです。つまり、実は「自由な発想 vs 常識の共有」という対立で捉えるのではなく、「常識の共有」というインフラがあるからこそ、「自由な発想」が許される環境が生まれると捉えるべきであり、その意味で、「常識の共有」こそが根幹を成すとも言えるわけです。

 実際、「企業理念」(Value・Purpose・Mission)というコンセプトはアメリカで発祥したものですが、その背景には、同国が多民族国家であるという現実があるとされています。

 私なりの言い方をすれば、多様なバックボーンをもつ従業員をまとめるためには、「企業理念」という形で、全員が共有可能な「常識」を植え付ける必要があったのです。

「企業理念」を、「常識」にまで落とし込む

 そこで、私はブリヂストンのCEOになった時に、創業以来大切にされてきた「社是」の精神を受け継ぎつつ、グローバルに通用する「企業理念」へと改訂することに着手しました。

 改訂プロセスにおいて重視したのは、徹底的なディスカッションです。

 本社の経営中枢が一方的に「企業理念」を押し付けるようなことをしても、それが「常識」として現場に浸透することは全く期待できません。本来、「常識」というものは現場での実践を通して、自生的に生まれてくるものだからです。

 とはいえ、自生的に「常識」が育つのには、少なくとも十年単位の時間が必要でしょう。それを待つだけの余裕は、一民間企業にはありません。そこで、さまざまな国の会社の将来を担う幹部に徹底的にディスカッションをしてもらうことによって、全員が「我らの企業理念」と思えるようにすることをスタート地点に置いたのです。

 そして、侃侃諤諤の議論のすえ、次のような「企業理念」を策定しました。

・誠実協調:常に誠意をもって、仕事、人、社会と向き合うこと。そして、異なる才能、価値観、経験、性別や人種といった多様性を尊重し、協調し合うことで、よい結果へと結びつけること。

・熟慮断行:物事を遂行する際は、様々な場面やあらゆる可能性を想定し、深く考えること。「本質は何か」を見定め、進むべき方向を決断すること。そして、スピード感をもって、忍耐強くやり遂げること。

経営トップが「企業理念」を死守する

 もちろん、この「企業理念」を掲げたのは出発点にすぎません。

 この「企業理念」には本社中枢や現地幹部たちの思いが込められてはいますが、現場の従業員たちにとっては“ただの文字列”にすぎません。いや、「企業理念」をまとめた当の私たちにとっても、この段階では単なる「言葉」にすぎず、これからの実践を通して、「言葉」に実体を与えなければならないという思いでした。

 まず第一に留意すべきなのは、経営トップが「企業理念」を死守することです。

 当たり前のことですが、経営トップが軽んじている「企業理念」を、社員たちが尊重するはずがありません。たとえ社員に対して権力的に「企業理念」を守らせることができたとしても、それが「常識」として社員たちの心に根付くなどということはありえないのです。

 これは、それなりに「覚悟」のいることです。

 たとえば、私がCEOだった頃、ある工場で設備が故障したときに、従業員の「安全」を最優先にするために、即座に生産をストップさせるように指示をしたことがあります。

「いかなる場合でも安全第一。安全確保のためなら、損失額はいくらになっても全く気にしなくていい」と伝えましたが、場合によっては数億円規模の損失が発生しかねない状況でしたから、さまざまなステークホルダーから責められるリスクはあります。

 しかし、ここでひるんだら、「熟慮断行」という「心構え」に記した「『本質は何か』を見定め、進むべき方向を決断すること。」という言葉に反します。

 事業活動において「利益」を得ることはきわめて重要ですが、そのために従業員の「安全」を犠牲にすることはできません。つまり、経営にとって本質的に重要なのは「安全第一」を遵守することであり、そのためには躊躇することなく「生産ストップ」を決断すべきなのです。

真摯な「対話」でしか、「良識ある組織」は生まれない

 また、「企業理念」について、真摯なコミュニケーションを重ねることも決定的に重要です。

 たとえば、「誠実協調」という「心構え」には、「常に誠意をもって、仕事、人、社会と向き合うこと」と書いてありますが、「誠意をもつ」とはどういうことなのかは、人によって解釈はさまざま。この解釈を揃えていくためには、個別具体的なケースにおいて、「どうするのが誠意のある対応なのか?」について真摯にコミュニケーションをとる以外にありません。

 特に、経営トップである私が、こうしたコミュニケーションを大切にする必要があると思いました。経営トップが一方的に「こうするのが誠意というものだ」と押し付けることも可能ではありますが、それでは現場が「誠意とは何か?」を自分の頭で考える機会を奪ってしまうことになるからです。

 もちろん、最終的には意思決定者が、「これが誠意のある対応である」と決める必要がありますが、その結論に至るまでには関係者と「何が誠意ある対応か?」について腹を割って話し合うことが大切です。

 こうして、「良酒」が時間をかけて熟成されるように、「企業理念」を軸に真摯なコミュニケーションを積み重ねることで、社内には「良き常識=良識」が熟成されていくのだと思います。

(この記事は、『臆病な経営者こそ「最強」である。』の一部を抜粋・編集したものです)

「自由な発想」vs「常識の共有」…組織を成長させるのはどっち?荒川詔四(あらかわ・しょうし)
株式会社ブリヂストン元CEO
1944年山形県生まれ。東京外国語大学外国語学部インドシナ語学科卒業後、ブリヂストンタイヤ(のちにブリヂストン)入社。タイ、中近東、中国、ヨーロッパなどでキャリアを積むほか、アメリカの国民的企業だったファイアストン買収(当時、日本企業最大の海外企業買収)時には、社長参謀として実務を取り仕切るなど、海外事業に多大な貢献をする。タイ現地法人CEOとしては、同国内トップシェアを確立するとともに東南アジアにおける一大拠点に仕立て上げたほか、ヨーロッパ現地法人CEOとしては、就任時に非常に厳しい経営状況にあった欧州事業の立て直しを成功させる。その後、本社副社長などを経て、同社がフランスのミシュランを抜いて世界トップシェア企業の地位を奪還した翌年、2006年に本社CEOに就任。「名実ともに世界ナンバーワン企業としての基盤を築く」を旗印に、世界約14万人の従業員を率いる。2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災などの危機をくぐりぬけながら、創業以来最大規模の組織改革を敢行したほか、独自のグローバル・マネジメント・システムも導入。また、世界中の工場の統廃合・新設を急ピッチで進めるとともに、基礎研究に多大な投資をすることで長期的な企業戦略も明確化するなど、一部メディアから「超強気の経営」と称せられるアグレッシブな経営を展開。その結果、ROA6%という当初目標を達成する。2012年3月に会長就任。2013年3月に相談役に退いた。キリンホールディングス株式会社社外取締役、株式会社日本経済新聞社社外監査役などを歴任・著書に『優れたリーダーはみな小心者である。』『参謀の思考法』(ともにダイヤモンド社)がある。(写真撮影 榊智朗)