「退屈な日々への不満は、考え方ひとつで消せます」
自分の生き方や置かれた状況に「悩む人」がいる一方で、同じ環境にいても「悩まない人」がいます。ではどうすれば、「悩みやすい不幸体質」を卒業して、「絶対に悩まない人」になれるのでしょう。
その方法を教えてくれるのが、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』です。12歳からの6年間を「修道院」で過ごした著者が、あらゆることが禁止された暮らしで身につけた「しんどい現実に悩まなくなる33の考え方」を紹介。悲観でも楽観でもない、現実に対するまったく新しい視点に、「現実の見方が変わり、モヤモヤがスッと晴れた」といった声が多数寄せられています。この記事では本書より一部を抜粋・編集し、「退屈への不満が消える考え方」を紹介します。

あるシスターに学んだ「幸せ」へのヒント
ある、お年を召したシスターがいらっしゃいました。
絵を描くのがとても上手で、お花を丁寧に育て、私たち志願生が学校から帰ってくると美味しいおやつを用意してくれました。
10代の私は、そのシスターの素晴らしいお仕事ぶりに感動しながらも、若気の至りでこんなことを聞いたことがあります。
「小さなことを毎日こなしてくださり、ありがとうございます。ですが、小さなお仕事でも幸せを得られますか?」
すると、シスターはこう答えました。
「ええ、とても幸せですよ。私は幸せのハードルが低いのよ」
絵を描くこと、庭の花が咲くこと、美味しいおやつができること、今日も遠くから子どもたちの元気な声が聞こえてくること。そのすべてが幸せだと、教えてくれました。
年に一度の学園祭の頃にだけシスターたちが総出で作ってくださる格別に美味しいアップルパイを頬張りながら、そのお話を聞いたことを覚えています。
「幸せのハードル」を下げる
幼稚園の先生をしている別のシスターは「毎日、子どもたちが笑顔になることが嬉しい」と言っていました。
学校の先生をしているシスターは「自分が教えたことが、学生たちの身になることが嬉しい」と。
老人ホームで奉仕しているシスターは「今日も穏やかな1日を提供できたなら嬉しい」と。
どのシスターも、それはもう「幸せ」そうにおっしゃっていました。
当時の私は、その言葉の意味があまりよく理解できていませんでしたが、たしかに皆、いつも幸せそうでした。「お金が欲しい」「名声が欲しい」といった考えは微塵もなく、ただ毎日をワクワクして生きていました。
今なら、それがいかに幸せで自由なことか理解できます。
「何事もない1日」に感謝を捧げる
修道院の生活は、朝から晩までとにかく祈りが生活の中心です。
毎回の食事の前後はもちろん、昼も夕も夜も祈りばかりで、1日の4分の1くらいは祈っていたように思います。
「今日もすべてのことに感謝いたします」
「自らを律し、反省します」
「世界と隣人が平和でありますように」
そう、祈りとは、目の前にある幸せに気づき、感謝することでもあるのです。
聖書にも、こう書いてあります。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
敬虔なカトリック信者である母も毎日、「今日も1日を無事終えることができました」「今日も食事をありがとうございます」と神様に感謝の祈りを捧げていました。
いっけん不自由に感じられる「何もない1日」にも、小さな幸せが隠れています。
何事もなく終わる1日に目を向け、そのありがたさに気づける人。
そこに喜びを見出せる人。
そんな人こそ、本当に幸せな人と言えるのではないでしょうか。
(本稿は、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です。書籍では他にも、「悩みが消える考え方」を多数紹介しています。)