「大学受験」は10代における最大のイベントです。残念な側面でもありますが、いい大学にいけば、なりたい職業になれる確率は上がり、将来の選択肢は増えるのが現在の日本です。それほどまでに大学受験の持つインパクトは大きくなっています。そんな難しい時代でも「自分らしい大学進学」をするために書籍:『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が発売されました。本書は、きれいごとを抜きにして、「大学受験とはどういうものなのか」「人生とはどういうものなのか」を考えることができる受験の決定版です。本記事では発刊を記念して本文の一部を抜粋・再編集してお届けします。

無自覚な「学歴厨」に要注意
世の中は、スポーツや文化に関する功績はものすごく評価されますよね。たとえば、甲子園に出場したら地元ではチヤホヤされますし、文化部でも賞を受賞したら褒められます。
僕は受験や学歴も同じだと思います。勉強というフィールドのなかで、それぞれが志望校を目指して頑張った先にあるものが学歴です。いわば、県大会の優勝メダルのようなものの代わりとして、「〇〇大卒」という称号を得られるチャンスが与えられるのだと思います。
それなのに、世の中的には「学歴は人に言うものではない」という風潮があります。正直意味がわかりません。運動部がスポーツを頑張るのと同じように、受験生も勉強を頑張った末に得た成果なのですから誇ったっていいじゃないですか。
人によっては熱が出ようが勉強、布団に入っても不安で寝られないから勉強というくらい自分を追い込みます。この努力は認められるべきでしょう。
ですから、この場を借りて言いますが、「学歴なんか関係ない」という大人のほうが、僕は頑張る受験生をバカにしていると思います。
受験生は受験生なりに限界に挑んでいるわけで、そこに水を差す必要はまったくありません。少なからず、そういったことを言う人は、今の受験生より勉強を頑張った経験があるのでしょうか。
最悪の場合は、なにかにつけて「東大卒は頭でっかちで使えない」「これだから勉強だけしてきた早稲田生(慶應生)は」などど履き捨てる人がいますが、努力してきた人を傷つけてなにがしたいのでしょうか。
このように人と学歴を強引に強引に結びつけてしまう人は、また違う形の「学歴厨」だと僕は思います。反対の意味で人の学歴にこだわりすぎです。
もちろん、「自分は高学歴だから」と、それを極端に人に自慢するような人は論外ですが、そうでないならば高学歴だって誇りを持っていいことです。
少なくとも「努力をしたからこそ得られた大きな勲章」と言えるでしょう。