The Legend Interview不朽
 堺屋太一(1935年7月13日~2019年2月8日)は1976年に、戦後の第1次ベビーブーム世代を指して「団塊の世代」と名付けた。それから約30年を経て、2000年代後半から日本企業は団塊世代の定年退職ラッシュを迎えた。「週刊ダイヤモンド」05年12月24日号では、この問題について堺屋がインタビューに応えている。

 堺屋は、団塊世代の定年退職が「戦後の終わり」を意味し、日本社会の構造変化を促すと指摘している。特に、日本式経営の柱であった終身雇用が崩壊し、定年退職者が市場原理の下で労働を続けることになる。その結果、労働市場のローコスト化が進み、高齢者が労働力として再活用される時代が来ると予測している。

 また、日本企業は依然として若者市場に固執しているが、実際には60代以上の高齢者市場が拡大しており、その潜在力が未開発のままであると指摘。供給側が高齢者向けの消費を促すことで、高齢者産業が発展する可能性があると説く。

 実際、さらに20年を経た現在、終身雇用制度の崩壊は一段と進み、シニア層の労働市場参加は一般化している。定年後も働く高齢者は増加し、フリーランスやパートタイムの形態で活躍するシニアも多い。また、企業はシニア向けの商品・サービスの開発に力を入れ、高齢者市場の拡大も進んでいる。堺屋が指摘した「市場価値への移行」は現実のものとなっている。

 一方、堺屋は当時、高齢者が子や孫への経済的援助をすることによる「高齢者が現役世代を支える構図」を懸念していた。そもそも「仕送り」とは、都会に働きに出た若者が地方で暮らす親を援助するものだったが、いつの間にか地方に住む親が都会で暮らす子世代を援助するという意味に変わってしまったという。「物価と生活水準の低い人が、物価と生活水準の高いところに送る。これほど世の中に良くないことはない」と堺屋は指摘する。「財政的には、若い人から取って高齢者に回った年金が、家計的には高齢者から子どもに流れる。互いに損するんですよ。この習慣が定着したのは90年代の後半です」と言う。

 現在、一部の若者層の間で、高齢者が資産や消費を独占し、社会全体の富の分配が偏っているとの批判から、「シルバー資本主義」という言葉が広まっている。その点は考慮すべきだが、高齢者が健康なうちは働き続け、自分自身のための消費を促進することで「高齢者を経済の担い手とする」という考えは、日本の持続的成長の鍵となることは間違いないだろう。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

団塊世代の定年退職者は
企業にとってありがたい労働力

──あと2年、厳密にいえば2008年の3月末に、団塊の第1世代が定年退職を迎えます。世の中がどう変わると思われますか。

「週刊ダイヤモンド」2005年12月24日号2005年12月24日号より

 団塊世代の定年とは、いわば「戦後の終わり」です。今の日本は「戦後の三角形」がある。頂点には、官僚主導・業界協調体制という産業経済の重し。底辺の一方には、終身雇用・先行投資・集団的意思決定を柱にした日本式経営。もう一方には、核家族・職縁社会がある。この三角形が戦後社会です。これが早くて3年、遅くて5年のうちに完全になくなる。

 最初に崩れるのは日本式経営です。その前提は終身雇用です。団塊世代の定年で、終身雇用的構造が消滅するでしょう。

 終身雇用・年功賃金という制度は、途中で会社を辞めたら大損になる仕掛けでした。つまり、若い頃は働きほどに賃金はもらわないで、会社に積み立てている。で、40代くらいになると働きよりも賃金の方が高くなり、積み立て分を返してもらう仕掛けです。

──しかし、そうした構造を変えざるを得なくなってきたと……。