ドラッカーが喝破した「定年なき社会」、“大企業を課長止まりで終えた人たち”が鍵
「週刊ダイヤモンド」1996年11月16日号に、経営学者のP・F・ドラッカー(1909年11月19日~2005年11月11日)のインタビューが掲載されている。ドラッカーは著作の中で、独ヒトラー政権の崩壊、日本の劇的な経済成長、バブル経済の到来、旧ソビエト連邦の崩壊など、さまざまな“予言”を行い、しばしば「未来学者」と呼ばれた。しかし、本人は「未来はすでに起こっている」のであって、すでに起こった未来を「観察」して知らせたに過ぎないと語り、自身では「社会生態学者」と称していた。

 インタビューは「新乱気流時代の経営」をテーマにした講演で、17回目となる来日に合わせたもの。ドラッカーは『乱気流時代の経営:新訳』(1996年、ダイヤモンド社刊)の中で、ビジネス・社会・経済に起こっている構造変化を乱気流に例え、先の見えない乱気流の時代において「今日を明日に投影する」という過去の経験を基にした判断は危険であると警告を発している。記事の中でもドラッカーは「現在ある経済論のほとんどが、まだ人が手作業で物を作り流通させるというコンセプトでできている」と指摘し、時代遅れの経済用語や経済指標で今の社会変化を説明することの難しさを語っている。

 社会生態学者としてドラッカーが当時、最も熱心に取り組んでいたのは、先進諸国に共通する最大の課題である人口構造と高齢化問題の研究だった。まさに、平均寿命が39歳だった頃の制度を現代に適応させるには無理があるとして、「75歳まで働けるシステム」を糸口とした新しい勤務形態の必要性を提言していた。

 とはいえ「企業が定年年齢を引き上げるといっても、70歳、75歳というのは非常に難しく、せいぜい65歳でしょう」と語り、「制度」として定めるのではなく、定年後の優秀な人材をフレキシブルに使いこなす新しい労働市場をつくることが鍵だという。

 ちなみにこの時、ドラッカーは86歳である。深い洞察力を発揮し、新しい価値観を提示することにおいて、年齢など関係ないことを自ら証明していたといえる。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

現在ある経済論や指標の
ほとんどが時代遅れ

――平成不況といわれる不況下にあった日本は、3年を経てようやく経済が回復してきたといわれていますが、その天井は非常に低く、依然不透明です。この現状をどう見ますか。

「週刊ダイヤモンド」1996年11月16日号1996年11月16日号より

 日本に限らず、ほとんどの先進諸国の経済状況が相変わらず悪いという印象があるようですが、私としては、逆にいい方向にあると思っているんです。ところが、先進諸国で今なにが起きているかというと、激しい社会変化なんですね。そしてその変化を描写するのに、使い慣れた経済用語で表現しようとするために、いまだに「不況だ」という穏やかならぬ表現になってしまう。

 しかし、不況と映るこの状況の正体は、あくまでも社会変化です。加えて言えば、米国も日本もドイツも、どこも似たような現象が起きているんです。

 例えば、米国の失業率は、成人男子に限って言えば今が最も低いんですよ。

――米国の世論は、失業率に悲観的な見方をしているようですが。

 ところが、失業率の実態は4.5%程度なんです。米国というところは、ご存じのように人々の移動が非常に激しく、成人男子の失業率は、6%まで下がればそれ以上は下がりようがないというのが常識なんです。つまり、現在の失業率は決して高くはないわけです。

 ところが、世論調査をしても、あらゆる分野の人に話を聞いても、まるで失業率が25~30%もあるかのような話し方をするんですね。

――それはやはり、生産に携わる工場労働者の失業率を尺度にしているからでしょうか。

 そうです。例えば米国では、エコノミストも政府も一般人も皆、経済状態の一つの指標として、生産に携わっている工場労働者の数やその失業率を尺度にしたがります。確かに、工場における仕事の口は減る一方です。

――つまり生産効率が上がっている。

 そうなんです。米国の「生産」における進歩の度合いは日本を追い越しているくらいですから。それに、米国の求人総数は、米国の歴史上かつてなかったほどの勢いで増えているんです。