今回は「ダイヤモンド」1951年9月15日号に掲載された随筆である。清水は大学卒業後にドイツと米国への留学を経験し、そのときに実地で得た知識や感覚を積極的に百貨店経営に生かした。今回の記事でも「アフターサービス」という概念をいち早く提示し、売ったら終わりというその場限りの商売にくぎを刺している。社員の採用においても、志願者は不採用とした途端にお客さまに変わるのだから粗末にしてはならないと説いている。昨今のサービス業の採用時にはよくいわれる話だが、それを70年以上前に指摘しているのである。
百貨店マンとしてさまざまな施策を試み、阪急電鉄の新規事業だった百貨店事業をグループの基幹事業の一つにまで押し上げた手腕は『阪急百貨店を伸ばしたアイデアマン、清水雅の「百貨店今昔物語』でも紹介している。こちらもぜひお読みいただきたい。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
不採用にした志願者は
その途端に顧客になる
私の仕事は、大きな部屋に座って、大きな顔をして、経営を語るというような仕事ではない。何円、何銭という零細なものを無数に販売して無数の顧客にサービスするのを主とした仕事である。
自分の家を出たが最後、どっちを向いてもお客さまばかりという仕事である。
会社の入社試験を今年やったら、200人の志願者があった。この中から10人を採用する予定である。つまり190人は不採用である。
ところが、不採用と決まると、途端にこの190人がわれわれのお得意さまになる。この人々が不愉快であっては、店で買い物をしてもらえない。試験に落としておいて、不愉快でないようにするにはどうしたらよいか。といって、全て採用というわけにはいかないのであるから、ここに難しい問題がある。
私は試験官に、試験を受けに来ている人は皆お客さまであるから、粗末に扱ってはいけない。試験官だというような不愉快さを取り去った採用試験はできないかしら、というような提案をするのである。これは難しい問題に違いない。しかし顧客、しかも無数の顧客を対象としているものは、このような心掛けで、全てに細心の注意を払わなければならぬ。そういう注意を必要とする仕事なのである。