分かりやすくいえば、天皇のお子さまであって、次に即位されることが確定している皇族、ということです。もはや何らかの儀式によってその立場につくのではなく、皇室典範の規定が根拠となって、お生まれになった瞬間に皇太子になられます(典範制定前にお生まれになった大正天皇は明治22年=1889=11月3日の立太子式で皇太子になられた)。

 明治典範制定以降の大正の皇室では、裕仁親王(のちの昭和天皇)が明治34年(1901)に皇太子としてすでにお生まれになっています。昭和の皇室では、昭和8年(1933)に明仁親王、つまり今の上皇陛下が皇太子として生まれておられます。

 上皇陛下がお生まれになるまでは、明治典範の皇位継承ルールでは皇位継承資格が認められない内親王のご誕生が続いていました。

 なので、しばらく昭和天皇の弟宮でいらっしゃった秩父宮(編集部注/大正天皇の第2皇子・秩父宮雍仁親王)が、皇位継承順位が第1位、つまり“傍系の皇嗣”という立場でした。

 しかし、直系の長男として上皇陛下がご誕生になった瞬間、秩父宮は皇位継承順位が第2位になられ、皇嗣という立場から離れておられます。傍系の皇嗣は直系の皇太子とは異なり、次の天皇になられることが確定した立場ではないのです。

 このように明治以来、しばらく皇太子が不在の期間も限定的にはありました。でも一代の天皇のご在位期間を通して、皇太子がまったくおられないという時代は、これまでありませんでした。

愛子さまが皇太子になれない…
その理由はただ「女性だから」

 令和は皇太子が不在ですが、もちろん「皇嗣」はおられます。現時点で皇位継承順位が第1位の皇族です。皇室典範第2条(皇位の順序)の規定を覗くと、第1項の“第6号”という後ろのほうに「皇兄弟及びその子孫」という項目があります。天皇のご兄弟とその子孫ということです。

 これに該当するのが、秋篠宮殿下とそのお子さまの悠仁親王殿下です。

 秋篠宮殿下はまさに先ほど言及した“傍系の皇嗣”という立場です。だから、「皇太子」ではありません。