いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

同じことが起こっても、人によって「見方」が違う
先日行った飲み屋で、隣の席の方々が声の大きい人たちで会話が丸聞こえだった。
「うちの奥さんはまったく仕事に理解がなくてさ、この間なんて……」
「ギャハハハ、それは確かにひどい! でも、うちだって……」
各自、家族や会社の不平不満を披露しては笑っている。
飲み会で最悪なのは「ただただ愚痴を言い合うだけ」で暗くなっていく会だ。当人としては、嫌な経験を言葉にすることでストレス発散をしているのだろう。
一方、このときはそれが笑い話になっているようだった。たんなる愚痴ではなく、「自虐ネタ」に昇華しているのだ。
これはこれでよく見る光景だ。彼らは、なぜ愚痴大会、不幸自慢大会で盛り上がるのだろうか。
聞いていて思ったのは、もしかすると仲間内からの嫉妬を恐れているんじゃないだろうか、ということだ。
幸せそうにしていると周りの人から嫉妬されてしまうので、あえて「足りないところ」にフォーカスして発表する。それを聞いた人たちは喜び、「私だってこんなに困っている」「オレだって」と、ネタを提供する。わざわざ毎日の「ネガティブな側面」を確かめあっているのだ。
ポジティブな面にフォーカスする
一方で、周りからは多忙だったり、大変な状況にいたりするように見えても、いつも幸せそうな人がいる。そういう人とは、話していて楽しい。
彼らの話をよく聞いていると、大変そうな問題についても、ポジティブな面にフォーカスして話している。
彼らは自然と物事の良い面を見ているようだ。だから、大変なことが起こっても不幸だと感じないのだろう。
幸せとは、考え方なのだなあと思う。
どこにフォーカスするかで幸福にも不幸にもなれてしまうのだ。
幸福になれる考え方とは?
そういった「幸福になれる考え方」は、訓練によって習得可能なものだ。
古代ギリシャの哲学者エピクテトスは、哲学は「生きるための技術」だと言った。
エピクテトスが学び、実践したストア哲学の中心的な教えは、「自分でコントロールできることに注力せよ」ということである。
他人がどう感じるかはコントロールできないが、自分の感じ方はコントロールできる。
他人に「嫉妬されるかどうか」といったことはコントロール外のことだ。
だが、自分が日々の出来事をポジティブにとらえるかネガティブにとらえるかということは自分でコントロールできる。
エピクテトスは次のように説いている。
生きるための技術
そんなことをすれば、その本来の対象の外側にあるものまで引き受けることになってしまう。
大工にとっては木、彫刻家にとっては青銅が素材であるように、生きるための技術の素材は、各人の人生なのだから。(エピクテトス『語録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
芸術家が素材を彫り上げて作品を作っていくように、哲学を志す者は生きる技術によって人生をかたちづくっていくという。印象的な比喩だ。
幸せに生きる技術があるのなら、ぜひとも手に入れるべきではないだろうか。
『STOIC 人生の教科書ストイシズム』は、ストア哲学のエッセンスが90の言葉とともに紹介されている。そこには、ただ読むだけでなく、幸せに生きる技術を自分のものにできるよう、「考え、記述する」課題も添えられている。
解説があるとはいえ、日々この課題に取り組むのはそれなりに大変だ。だが、これも自分の人生を彫り上げていくための時間ではある。課題と向き合いながら、いま改めてじっくり自分と向き合ってみるのもいいのではないだろうか。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)