情報というものは、それを発信する側のフィルターがかけられているものです。ある1つの事象でも、どこから眺めるかによって、意見はまったく違ってくるのが本当です。

 それに気づかず、無意識に誰かのフィルターに染まったまま年をとると、1つの見かたばかりに固執してしまうことになります。これが、異論、反論を受けつけない偏屈老人が出来上がる発端ということです。

 自分が接した情報に穴はないか。反対側の視点ではどうなるのか。ということを考えてみましょう。「弁護士になってみる」とは、そういうことなのです。自分の意見を意識的に考えることは、ニュートラルな思考態度を持つうえで、非常に役立ちます。

「自分の頭を使う」ことが
大切な理由

 注意すべきなのは、本当に自分の頭を使うということです。つまり、本当に自分の頭で考えたのか、それとも考えた気になっているだけなのかということを意識する必要があるということです。

 批評精神を持たず、誰かの意見に同調しているのは、ただ考えた気になっているだけです。考えたうえで、世論や誰かの意見と同じ結論に達することも、もちろんあると思います。

 しかし、その過程に「反対側から見るとどうなのか」「この情報にはどんなフィルターがかけられているのか」という検証作業が入らなくては本物ではありません。

 検証作業を飛ばしてしまうと、自分で考えたことにはなりません。前頭葉を若返らせるためには、前頭葉を使うことが一番なのですが、使った気になっていて、実際には使えていないことが多いのです。これでは意味がない。だから、頭を使うトレーニングとして、弁護士になってみて、さまざまな意見を考えろというのです。

 また、弁護士になってみるというひとり遊びは、他者の立場に立ってものごとを考えるためのトレーニングにもなります。

 自分の考えに沿った意見を読んだり、聞いたりしているときには、前頭葉は刺激されません。理解力も大して必要でないうえに、話に驚きもないからです。だからあえて、自分とは異なる思考だと思っている人の書いた本などを読んでみるといいのです。

 自分の想定していない意見に接すると、確実に前頭葉が刺激されるし、さらなる反論を考えることも、思考のトレーニングになります。

 つねになりきり弁護士で、前頭葉を活発に動かしましょう。孤独を感じる暇もなくなります。