現代の「役に立たないロボット」の開発者たちは、戦後無数に生み出されてきた、漫画やアニメに登場する架空の「役に立たないロボット」たちの影響を受けているのだ。
また、日本が「役に立たないロボット」の開発に必要な技術や感性を蓄積できた背景には、戦後の日本でロボットによる軍事開発が事実上できなかったことや、当の漫画・アニメの表現の規制がそれほど強くなかったことも関係しているだろう。特に、ギャグのような描写については、破壊的なシーンも許容されるなど、自由度が高かったのだ。
アメリカを比較対象として見てみると、1954年に「コミック倫理規制委員会(Comics Code Authority)」が発足し、フィクションにおいて暴力や犯罪を想起させる描写、スラングのような言い回し、政府や親、家庭を軽視するもの、ゾンビ等のさまざまな表現が制限されている(2011年までに段階的に廃止)。いわゆる「スーパーヒーローもの」以外をモチーフにした主人公が描かれにくい状況だったのだ。
日本の作家たちが
ロボットを描けた理由
これらのすべてが当たっているし、同時に、それ単独では答えとして不十分なのではないかと考えている。たとえば、こんなふうに想像してみることはできないか。
戦後から高度経済成長期にかけての日本。人々を明るい気持ちにするような大衆の娯楽が必要とされた。漫画においても、政治風刺漫画やプロパガンダが主流だった戦前や戦中と異なり、「笑い」や「面白さ」つまりはギャグやストーリーが求められた。
幸いなことに日本の作家たちは、大人の作家としての深くて高度な思考や思想に加え、夢中で遊びに興じる子どものような心を兼ね備えており、発想がとりわけ豊かだった。表現やストーリーを限定するような規制も日本にはほとんどなかった。
こうした特殊で稀な状況と豊かな発想を活かして、面白い話を描こうとすると、読み手の予想を裏切るような言動をとったり、現実とは異なる世界を演出したりする、「価値観の転換」をもたらすキャラクターが必要になってくる。効果的な手法の1つとして、人間ではないキャラクターを登場させ、人間には絶対できないような言動をとらせることが考えられた。