そりゃ世界が欲しがるわ…日本の「使えないロボット」に込められた“深い意味”写真はイメージです Photo:PIXTA

本来の目的である「労働」をしない、所謂「役に立たないロボット」が日本にはたくさんいる。人間の代わりに作業に従事するわけではない「役に立たない」ロボットは、一体社会にどのような影響を与える存在なのか。また、そもそもどういう背景や経緯で生まれてきたのだろうか?関係者たちへの取材を通して、その価値を考察してみよう。※本稿は、谷明洋『役に立たないロボット 日本が生み出すスゴい発想』(集英社インターナショナル)の一部を抜粋・編集したものです。

「役に立たないロボット」は
なぜ日本に多いのか?

 まずは「役に立たないロボット」が描かれ、つくられるようになった経緯を、日本の特異性と併せて考察したい。対応する問いは次の2つだ。

「役に立たないロボット」は、どういう背景や経緯で生まれて(描かれて、つくられて)きたのだろう?

「役に立たないロボット」に対する感覚には、どのような日本(もしくは東洋)ならではの要素があるのだろうか?

 日本では近年、さまざまな「(人間の代わりに仕事をしない)役に立たないロボット」が現実的な機械のプロダクトとしてつくられるようになっている。その動きは世界的に広まりつつあるが、ハード、ソフト両面で、日本は一歩先を進んでいる。

 実機のロボットが多くつくられるようになった背景に、「ドラえもん」のような友だちの立ち位置でロボットが登場するフィクション作品の存在があると考えるのは、「らぼっと」(編集部注:「人の愛する力をはぐくむ」をコンセプトにしたコミュニケーション・ロボット)をリリースした林要さんが「友だちのようなロボットを見る機会が小さい頃から多かった影響は大きいでしょうね」と言っていたことからも妥当だろう。