ヘボコンが海外に広まっていったとき、主催者の方にはほとんど説明をしなくてもヘボコンの趣旨が理解されていたんです。(石川大樹さん)(編集部注:ヘボコンの主催者。過去に「しょうゆを自動でかけすぎる機械」「メガネに指紋をつける機械」などの電子工作を制作している。)

ユーザー側の感性は
人類に普遍的?

 ヘボコンはロボットを「使う」というよりも「つくる」側に立つイベントではあるけれど、参加者はロボットのエンジニアや開発者ではないという意味では一般人である。「思い通りに動かないロボットをギャグとして楽しむ」「ヘボを楽しめるようになることで、いろいろなことに挑戦しやすくなる」という考え方に強い共感を覚える人が、香港や欧米にも確かに存在するのだ。

 ロボットと接する側・使う側の感性は、描く側・つくる側の感性が日本に特徴的だったのと異なり、どちらかと言えば「広い世界にある程度共通しそうだ」ということが繰り返し示唆されてきた。

ロボットと接する側に、洋の東西に違いはほとんどないと言われています。(大澤博隆さん)(編集部注:慶應義塾大学理工学部管理工学科准教授・慶應義塾大学サイエンスフィクション研究開発・実装センター所長・筑波大学システム情報系客員准教授・HAI研究室主宰者・日本SF作家クラブ第21代会長)

書影『役に立たないロボット 日本が生み出すスゴい発想』『役に立たないロボット 日本が生み出すスゴい発想』(インターナショナル新書)
谷明洋 著

正直に言えば、「らぼっと」を海外のどこへ持っていっても、特に女性や子どもの反応は変わらない。(林要さん)(編集部注:「らぼっと」の開発者。ロボットベンチャーGROOVE Xの代表)

 端的に言えば、生き物のようなロボットに愛着を持ったり、かわいいと思って受け入れたり、心を通わせようとしたりするのは、本質的には人類に普遍的な感性であるということだ。だとすれば、「役に立たないロボット」の市場は、日本に閉じたものではなく、潜在的に全世界に広がっていることになる。

 そして林さんが言うように、日本が家庭用ロボットの開発において、ハード・ソフト・クリエイティブの3つを揃えていることを踏まえると、「役に立たないロボット」は日本発の新産業へと成長することが期待できることになる。