日本の作家たちはここで、「ロボット」を選択肢とすることができた。なぜなら、西洋の人たちと異なり、「自然と人工物を、あるいは生物と非生物を区別すること」にも「人間がつくった機械が人間に従順であること」にも、囚われることがなかったからだ。

 アジアに通じる「アニミズム」や「八百万の神」といった考え方に親しんできた感覚はむしろ、人間の暮らしの中に友だちのようなポジションで存在するロボットを描くことを後押ししてくれた。

「人間ではないキャラクター」は必ずしもロボットである必要はなく、動物をモチーフにしたり、妖怪やオバケ、宇宙人を登場させても良い。ただ、ロボットは「設定の自由度」という点で大きなアドバンテージがある。

 見た目が人間そっくりで超人的な能力を持つ存在から、人工物っぽさやポンコツな様相が前面に出た存在まで、自由に都合よく登場させることができるのだ。人間であれば違法行為にあたる行動をとらせておきながら、罰則や責任問題を回避しやすいメリットもあった。

フィクションのロボットが
現実に与えた影響

 そのうえ、現実味がゼロにならないという特徴もある。たとえば、言語で人間と会話できるような存在を考えたときに、ロボットは動物やオバケと異なり、「もしかしたら、科学技術が進歩した未来には、あり得ない話ではないのかもしれないな」という印象を与えることができるのだ。

 結果としてロボットは、「価値観の転換」をもたらすキャラクターとして多く描かれるようになり、作品が増えるにつれて、ロボットが発揮しうる役割や機能も多様化する。ギャグにとどまらず、社会的な問題提起やメッセージを内包したストーリーにおいてロボットが重要な役割を担う描写も増えていった。

 結果として、家庭用ロボットの開発における先行的な「思考実験」としての意味を持った。軍事開発から切り離されてロボット開発が進み始めたことも相まって、ロボット技術者が幼少期にフィクションを通じて半ば無意識的に繰り返してきた「思考実験」が少なからず活かされ、日本は家庭用ロボットの開発において世界をリードするまでになったのだ。