ある朝起きると、私は目が見えなかった。鏡を見ると、両目とも目やにで塞がっていたからだ。あまりにも蚊の数が多いので、ずっと煙の近くにいたためだろう。町で評判のベテランの女医に診てもらうと、「あなたは煙のアレルギーがありますね」と実に正確な診断が下された。強力な目薬を処方してもらったおかげで、次の日には回復した。

40年前のハーバード調査団の
さらに下を行く発掘で大発見!

 セイバル遺跡は、マヤ考古学の研究史でも世界的に有名である。20世紀の最も著名なマヤ考古学者であるハーバード大学ゴードン・ウィリー教授が1964年から1968年までセイバル遺跡を調査したからだ。私の恩師サブロフ先生(編集部注/筆者は1992年にピッツバーグ大学大学院に進学し、マヤ文明の世界的権威であるジェレミー・サブロフ教授の指導を受けた)は、ハーバード大学の大学院生として調査に参加され、博士論文でマヤ考古学の模範とされる土器編年(編集部注/出土した土器の様式の変化に応じて年代を特定する作業)を確立された。つまり、私はウィリー教授の孫弟子である。

 ハーバード大学の調査団は、遺跡の様々な場所で発掘調査を行い、遺跡中心部の平面図を作成した。広い発掘区の発掘は、古典期(後200~1000年)のマヤ文明に重点が置かれ、その下は掘らなかった。そのために、それ以前の先古典期(前1000~後200年)のセイバルの姿、特にマヤ文明の起源と形成に関するデータが不足していた。

 調査団長の猪俣健さん(編集部注/アリゾナ大学教授で、筆者の親友でもある)と共同調査団長の私は、アメリカ、グアテマラ、スイス、フランス、カナダ、ロシアの男女の研究者と国際調査団を編成し、ハーバード大学の調査から約40年ぶりに調査を再開した。

 ハーバード大学調査団は、狭い面積(2メートル×2メートル)の試掘調査に基づき、先古典期中期(前1000~前350年)に農民が小さな村を形成して徐々に共同体が発展したと考えた。私たちは、広い発掘区を地表面から10メートル以上も下にある自然の地盤の無遺物層まで3年から4年かけて掘り下げるという、多大な労力と時間を要する発掘調査を実施した。これによって、マヤ文明の起源が従来の学説よりも200年ほど早く前1000年頃に遡ることがわかり、その成果をアメリカの学術誌『サイエンス』に発表した。論文採択率が、6パーセントほどの狭き門だ。